School of Dog?

イヌが読書やら雑談やら。

司馬遼太郎『この国のかたち』に学ぶ「歴史から抽出する日本のエキス」

この国のかたち〈1〉 (文春文庫)

この国のかたち〈1〉 (文春文庫)

 
この国のかたち〈2〉 (文春文庫)

この国のかたち〈2〉 (文春文庫)

 
この国のかたち〈3〉 (文春文庫)

この国のかたち〈3〉 (文春文庫)

 

 (まだ3巻までしか読んでいません……)

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain今日野球場がキレイに均されているのは、昨日練習が終わった後にしっかりと整備をしたからだろう。

 ファーストとキャッチャーの仲が険悪なのは、1ヶ月前のケンカのためだろう。

 

 現在起こっている事象は、過去に起こった出来事によって形作られている。

 となれば、相当に昔のことであっても、現在に何かしらの跡を残しているのかもしれない。

 

 あるいは、君主論で有名なマキャヴェリは、すべての出来事はよく似た先例があるから将来を知りたければ過去に目を向けよと言った……と聞きかじったことがある。

 そこまで強く言い切ることは私にはとてもできないけど、現在や未来を考察する上で歴史に目を向ける大切さは言わずもがなである。

 

 だけど、現在について考えるためには、一体どこまで遡ればいいのだろうか?

 無限に存在する過去の出来事・人物のうちのどれを見れば、現在の考察ができるのだろうか?

 

 これを選定し、つなげ合わせて現在に届けるのは気が遠くなるほど難しい作業だろう。

 自分の頭の中に、歴史に関する大量の知識と広大な見取り図がないとできないことだ。

 

 それをやってのけたのが、司馬遼太郎さん(以下、敬称略)の晩年の作品『この国のかたち』である。

 1986年から、司馬遼太郎が急逝した1996年までの10年間、『文藝春秋』の冒頭に連載されていたものだ。

 

 司馬遼太郎。

 言うまでもなく、心揺さぶられる時代小説を多数執筆してきた方。

 並々ならぬ想いで歴史を追いかけてきた歴史の達人。

 その達人が、歴史を通して「この国のかたち」を一緒に考えようと語りかけてくださる本である。

 

 そう、本書を読んでいて、「語りかけられている」という感じが強かった。

 紙幅が余ってしまった。なのでここからは余談というか雑談になるが……。

 紙幅が足りなくなってしまった。本来、○○について書こうと思ったけど、冒頭の話を書いていたら楽しくなってしまって本題に触れられずに終わってしまった。

 こういう書かれ方で進む。

 歴史が本当に大好きな方から、直に話をしてもらっている気分で読んだ。

 

 本書のねらいは、2巻あとがきを見るとわかりやすい。

 

 「私は、かりそめのことながら、別の惑星からきたとして、日本国を旅している。この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを大小ともなく煮詰め、もしエキスのようなものがとりだせるとすればと思い、『かたち』をとりだしては大釜に入れているのである」

 

 そして、その直後にはこう書かれている。

 

 「選ぶことと煮詰めるのは私のしごとながら、もしよき読者を得るなら、そこから本質的なものをとりだしてもらえるのではないか」

 

 『この国のかたち』には、日本の「エキス」をとりだすための歴史的な事象を選んでつなげはしたけど、本質までは書いていないよと、はっきり著者が断っている。

 流して読むだけでは、確かに面白いけど、歴史的事象が羅列されているだけじゃないかで終わってしまうかもしれない。

 

 司馬遼太郎はその「本質」を書けなかったわけではないと思う。

 「だから結局、日本人というのは……という性質を持っているんだよ」とか、

 「日本の政治は……という原則の上で成り立っているんだよ」とか、

 その最終結論を書くことは、司馬遼太郎なら可能だったはず。

 

 けれども、それをあえてしなかったのだと考える。

 

 その理由のひとつには、歴史というのはそんな単一の結論を導いておしまいというほど浅いものではないという想いがあったのではないだろうか。

 ここに、歴史に対して敬意を持って接する著者の姿を見た。

 歴史的偉人の誰々はこういうことをした、だからこういう心構えが成功のためには必要であると結ぶビジネス書とはちょっと違った考え方に拠っている。しかし、仕事をしていると悠長なことは言っていられず、そうしたすぐに、具体的に役に立つ知識・心構えがほしかったりもするので、ビジネス書が悪いというわけではない。

 

 もうひとつ考えられるのは、果たして読者の考える機会を奪って単一の結論を先に出すのが本当に親切なのかということである。

 

 これは学校の授業を思えば分かりやすい。

 司馬遼太郎に合わせて、歴史の授業で考えてみる。

 

 江戸幕府がどのように「戦国」を終わらせて安定政権を作ろうとしたかという授業をしているとき、「外様大名は遠くに置いて……参勤交代で資金を使わせて……だからこうなったんだ」って先生がすべて話してしまうのは、実は親切ではない。

 まずは生徒の関心を惹く。その後に、日本地図でも黒板に貼って、「徳川将軍家が政治を安定させるためには、これまで敵対していた大名が反抗できないようにしたいよね。ということは、君たちがもし徳川将軍家なら、日本のどの辺りに外様大名を置くかな? ……そうね、江戸から遠くだよね。けど、外様大名だけで一箇所に固めてもいいと思う? ……」みたいに、考えるための材料と問いかけは用意するけど、結論は生徒が導けるようにするほうが、本当の親切というものじゃないのかな。

 

 それと同様、「結局は」の部分がないからこそ、本書は名作となっているのだと思う。

 まぁ、私は司馬遼太郎が言うところの「よき読者」となれる力はまだないようで、選ばれたエピソードから本質を見出しきれていない部分がたくさんあったけど……。

 

 さて、先述の通り、本書は司馬遼太郎が急逝した1996年まで雑誌『文藝春秋』に連載されていたものである。

 司馬遼太郎が亡くなったのは2月。同年10月には文藝春秋編『司馬遼太郎の世界』という本が発売された(以下のリンクは文庫化したもの)。

 司馬遼太郎追悼特集のようなもので、そうそうたるメンバーが司馬遼太郎に向けて新たに書いた文章、これまで書いた文章をまとめたものだ。

 

司馬遼太郎の世界 (文春文庫)

司馬遼太郎の世界 (文春文庫)

 

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainその中に、当時『文藝春秋』の編集者だった堤堯(つつみ・ぎょう)さんの文章があった。「『この国のかたち』事始め」と題したもので、どのような経緯で『この国のかたち』の連載がはじまったのかを述べている。

 この文章を偶然見つけて読み、『この国のかたち』の理解が深まった。

 

 それまで文春の巻頭連載をしていた田中美知太郎(哲学者)が亡くなり、司馬遼太郎に次の巻頭連載を持ってもらうため、堤さんは1986年元旦に熊本に行った。司馬家は元旦は外で過ごす。その年は熊本だった。元日まで執筆依頼をしに駆け回る編集者の大変さを感じる。

 しかし、堤さんはお願いの言葉を考えるあまりに、夜食の席を予約し忘れた。慌てて「すぐに熊本市内でどこか予約取りますから!」というと、司馬は「まぁ、上の食堂でええやないか」とおっしゃったそうだ。宿泊地の食堂では子どもの泣き声なんかが聞こえてくるが、司馬は気にしなかった。温和な性格が伺える。

 当初は司馬もあまり乗り気ではなかったようだが、最終的には「よし、オレ書くよ。書いておきたいこともあるしなぁ」と引き受けたという。

 

 堤さんによると、司馬は最初「この土のかたち」というタイトルにしようとしていたみたい。「土」と書いて「くに」と読む。司馬曰く、「小生、NATIONを書くつもりもなければ、COUNTRYを書くつもりもなく、STATEを書くつもりもない。この国のLANDを書いてみたいのです」

 しかし、「土」では字画が悪いと考えた堤さんは、話し合いと説得の末「国」に変えてもらったのだとか。

 

 第2巻37「無題」でも、自然国家(NATION)と近代国家(STATE)の違いについて触れている。ここからも、「国」というものについて深く考えた痕跡が見いだせる。

 司馬は、概念上の主権とか国民意識とかそういうことではなく、細長いこの日本列島で起こってきたことを述べたかったのだと愚考するけど、どうなのでしょう。

 

 ところで、司馬遼太郎が「書いておきたい」と言ったことはなんなのだろうか?

 それは、「太平洋戦争が起こらなければならなかった理由」なのかと推測する。

 

 第1巻あとがきには、22歳のときに戦車小隊の隊長だった自分から未だに離れられないという司馬遼太郎の悲痛な叫びが書かれている。

 終戦の放送を聞いたとき、「なんとおろかな国に生まれたことか」と思ったそうだ。そして、鎌倉、室町、戦国、江戸、明治のころの日本もこんなにおろかだったのかと気になるようになった。

 それが知りたくて本格的に小説を書き始めた。司馬の小説は、22歳の自分への手紙を書き送るようにして書かれているという。

 

 『この国のかたち』を書き始めるあたりでは「ほぼ当時の疑問が解けるようになった」。

 当時の疑問について、小説という形式ではなく説明文という形式でその疑問に答えようとした。

 それが『この国のかたち』である。

 

 『司馬遼太郎の世界』には、野坂昭如(『火垂るの墓』の原作者)による、このことに絡めた追悼文が掲載されている。

 野坂さんは、司馬遼太郎から戦時中の話を直接大阪ミナミの居酒屋で聞いたそうだ。1969年の寒い頃。

 

 上級士官は司馬青年に対し、「もし本土決戦になり、避難する国民と戦車がぶつかりそうになったときは、国を守るためだ、邪魔となる連中は戦車でヒキコロシて進むべし」と命令した。司馬は「国民をヒキコロシて守る国とは何やろかと思ったわ」と、温容な笑みを浮かべて言ったそうだ。

 野坂さんは、司馬が頭ではなくお腹の病気(腹部大動脈瘤破裂)で亡くなったのはある意味よかったのではないかと述べている。なるほど、司馬は理屈とかではなくお腹の部分でヒキコロスべしの命令が納得できなかったのだろう。

 

 

 よって、『この国のかたち』のうち、太平洋戦争に直接絡む部分に込められた執念・思い入れ・迫力には並々ならぬものがある。

 1~3巻でいえば、3「”雑貨屋”の帝国主義」、4「”統帥権”の無限性」、6「機密の中の”国家”」、37「無題」。

 この辺りは、先の疑問を持った22歳の青年に向けて書かれている。

 

 日露戦争終戦後~太平洋戦争敗戦までは、「あんな時代は日本ではない!」と灰皿を叩きつけて叫びたい衝動がある(4「"統帥権"の無限性」)。

 また、日本史は世界でも第一級の歴史だが、太平洋戦争周辺は日本史全体としてはきわめて異質の時代であるにも関わらずそこを光源として日本史全体を見ようとする向きが世間にある(6「機密の中の"国家"」)。

 大日本帝国は、絹・砂糖・雑貨程度の、大利益にはつながらないものを売りつけるために満州を獲得しようとした。それは、外に市場を求めるイギリス発の本来的な帝国主義とは異なる。じゃあ、何が目的だったんだろう……。「このちゃちな”帝国主義”のために、国家そのものがほろぶことになる。一人のヒトラーも出さずに、大勢でこんなばかな40年を持った国があるだろうか」(3「”雑貨屋”の帝国主義」)。

 

 もちろん、本書のすべてが太平洋戦争に絡んでいるわけではない。

 まさしく、その部分だけを光源として『この国のかたち』という作品を見ると歪む。

 

 どの文章も面白かったが、13「孫文と日本」には考えさせられるものがあった。

 西欧の学者が書いた中国史の本を見ると、孫文は「滑稽な失敗者、処女のような空想家、脚もとを見ないドン・キホーテ、あるいはドタバタ喜劇の役者」と書かれている。

 見ようによっては確かにそうなるが、これは強力な乾燥機にかけられた剥製のようで、生物としての湿度をもっていない。「すくなくとも後世という、乾いた場所に居すぎるせいではあるまいか」という文章には、ハッとさせられた。

 これも「頭で考えるか、お腹で考えるか」という違いだろうか。

 

 最後にもうひとつ。

 この本は、前準備なしに読むのはちょっと辛い。

 

 高校基礎レベルの日本史、中学で扱う程度の地理・世界史の知識がないと、登場する言葉の意味を捉えがたい。

 既に日本史の知識がある人にとっては、それまで点として学習してきた内容が線でつながり、しかも現在に届けられるという体験ができることだろう。

 

 だから、最適な読者はもしかしたら、大学入試で日本史を使うために頑張って覚えたが、そのまま放っておけばサークル活動やらアルバイトやらの波にさらわれてせっかくの知識が消えてしまう、そんな大学生なのかもしれない。