性交とは本能でも愛の表現でもなく、趣味である?/岸田秀『性的唯幻論序説』

性的唯幻論序説 (文春新書)

性的唯幻論序説 (文春新書)

 
THE BOOKS green 365人の本屋さんが中高生に心から推す「この一冊」

THE BOOKS green 365人の本屋さんが中高生に心から推す「この一冊」

 

f:id:school_of_dog:20151105224448j:plain『THE BOOKS green』という、書店員が中高生に本を紹介する本で取り上げられていた。紹介者は東京都目黒区にある書店の店員さん。誘い文句は「さあ、考えの幅を広げに行きましょう」である。なるほど、確かに考えの幅は広がった。中高生に勧められるかどうかは別として。

 人類という動物として生きる上でも、人間という知的生命体として人生を作っていく上でも、「性」の問題はめちゃくちゃ大きい。その「性」に対する見方・考え方が揺さぶられる本である。ただ、ここに書かれているようなものの見方・考え方を獲得するのがイイことだとは言い切れない。面白いから、楽しいから読むんだぜ、くらいの気持ちがよさそう。

 

 特に最初の2章くらいが非常に楽しい。仕事から帰ってきた後、19時からかるーい気持ちでこの本を開いた。そしたら夕飯食べるのも忘れて、気付けば22時になっていたくらいだから。こんなに熱中したのは久しぶりだ。

 私は、こういうブログって既読の方が検索をかけてたどり着いてくださるのが90%以上だと思っているので、改めてあらすじは書かない。けど、自分の頭の整理のためにちょっとだけ……。未読の方がいらっしゃったら、下に述べる触りの部分で、この本の面白さを掴んでみてほしい。

 

 人間は二足歩行をし、大きな頭脳を持っている。しかし、それは他の哺乳類に比べれば奇形的とも言えるような進化をもたらした。奇形的進化は性にも影響を及ぼす。発情期が来ればオスもメスも勝手に戦闘準備万端! ……とは行かぬのだ。

 身も蓋もないことを言えば、性交のためにはメスの状態は特段問題にならない。条件としては、オスの性器がエレクチオンすることだけが求められる。しかし、発情期という構造によって勝手にそうなるわけではない以上、人類が存続するためには後付けで、ゴリ押しでリビドーをかき集める仕組みが必要になってくるのだ。どうしてエレクチオンしないのよーって言っても、人類のオスは発情期に支えられているわけではないので仕方がない。この意味で、人間は本能が壊れた動物である。

 このような大前提の上に立つと、見晴らしがいい。著者である岸田教授は、豊富な、時にはお叱りを受けそうな例を引っ張りながらあれこれを考察する。「ニーソックスに興奮するフェチズム」も「かのマックス・ウェーバーすら見落とした資本主義の発展要因」も「男優位の性差別」も「キリスト教圏文化と日本文化の違い」も、不思議と(?)よく見えてくる。

 特に、「女はストリップを見たとき、女の裸自体に興奮するのではなく、女の裸を見て興奮するであろう男を想像して興奮する」というねじれ構造になっている女の性欲について、胎内回帰願望とフロイドのリビドーを使って説明するところはもはや色々と通りこして感動。よくこんなことを考えられるなぁって。

 

 『性的唯幻論序説』に書かれていることが科学的に正しいかと言われれば、怪しい部分はあるのだろう。だけど、大学生の時に異常に面白い講義を聞き、ノートにメモを書きなぐっていたら1コマで10ページも書いていた……みたいな気分を思い出させてくれる本だった。あるいは、ライトノベル主人公のモノローグにも使えそうな?

 ある程度の年齢になっていないと本書の内容は劇薬になりかねない。ここに書かれている内容を信じすぎると、少年少女たちがこれから純粋に性生活をしていく妨げになるのだ。ようやく好きな人と付き合いそういう場面になったとしても「今は幻想をすり合わせているだけなんだ」とか「オレはここにフェチを見出して、なんとか人類の存続のためにエレクチオンしないといけないんだ」とか、頭をよぎってしまうだろう。やだなぁそんなこと考えている10代……。

 自分とは一線を引き、科学書ではなく、哲学書やエッセイのつもりで向かい合ったらいいのかもしれない。少なくとも、この教授が考えることは自然に生活していたら思いつくはずがない。それを知れる点、本の楽しさが詰まっている本であるといえる。