「最大幸福」ではなく「十分幸福」/小さな旅 山抱かれ 心満たす~石川県 白山~

f:id:school_of_dog:20180318145357j:plain

www.nhk-ondemand.jp

f:id:school_of_dog:20151105224445j:plain360度、見渡す限り田んぼしかないようなところに住んでいた時期、都会に住んでいる友人たちから「なんでそんな不便なところに住み続けているの? 遊ぶところも、美味しいもの食べるところもあんまりないじゃん!」と言われたことが何度かある。「そこに住み続けるのは、もはや修行だよね」とも。

 私は「都会に住むのが絶対にいい」とも「田舎に住むのが絶対にいい」とも思っていないけど、確かに田舎に住んでいると不便なことってたくさんあるわよね。最大の不便、それは計画的な買い物をしておかないと詰んでしまうことかしらん。まぁ、私の場合は仕事ばっかりの日々だったし、休みの日だってインドアだし、ご飯は自分で作りたいし、そういう根暗的生活をしていたから、遊ぶ場所なんてなくったってまったく問題なかったんですけど! それから、今はAmazonっていう便利なものもあるしね。

 その後都会に移り住んで感じたのは、「空が狭い!」「山が見えない!」。一方で手に入れたものもたくさんあったんだけど、なんだか寂しかったなぁ。

 

 今回の小さな旅では、「なんでそんな不便なところに住み続けているの?」という都会人の問いに対して、「便利って求めだしたらキリがなくないかい? 今ある環境、今あるもので満足することができるようになればいいんじゃないかい?」と答えているように思えた。

 「最大多数の最大幸福」は、社会科学が求めるひとつのゴールのように扱われてきた。だけど、「最大幸福」ってどこなのよ。最も大きいと書いて最大。だけど、最も大きい幸福を叶えたら、さらに大きな幸福が欲しくなる。あれ、最もってどういう意味だっけ、と。それに対して、最低限生きることができれば満足することができるという「十分幸福」(※今作った言葉)の世界を垣間見ることができる。

 

 出作り小屋のおじいちゃん。どう見たって不便そうな場所に住んでいる。じゃあ、広大な耕作地が得られる平地に引っ越せばいいじゃないかという意見があるかもしれないけど、そうではないのだろう。定年退職をしてから「夢にまで見た」山に帰ってきた。

 クズ繭のみを使って作る絹織物。ひとつの繭に2匹が入ってしまっていると糸が絡まってしまうが、そこから絹を紡ぎ出す。ちょっと使えなくなったからと言ってすぐに捨ててしまっていることを若干恥じる。

 

 そんな生活が都会生活に勝っていると思っているわけではない。私は彼らのような生活に慣れることはできないだろう。だけど、まさに「足るを知る」を実践する彼らの姿は、忘れていた何かを思い起こさせてくれる……かもしれない。