東郷平八郎は、日露戦争の日本海海戦でどのような戦いをしたのか?(横須賀の記念艦「三笠」を歩く)

東郷平八郎は、日露戦争の日本海海戦でどのような戦いをしたのか?

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f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainみなさま、京急の「みさきまぐろきっぷ」という、神が創り給うた脅威のコスパを誇る切符はご存知でしょうか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain品川駅から京急久里浜線の終点である三崎口駅までの往復電車切符(途中下車可)、そこから先に行くための京急バスフリーパス、食事券、レクリエーション券がセットになって……。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainなんと3,500円です!

 安すぎる!

 本来は電車賃だけで2,000円近くすることを考えれば、その絶大なるオトク感がよく分かるのではないでしょうか。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain「青春18きっぷ」といい、こういう自由度の高い切符には惹かれますねぇ。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain今回、私たちはかつて訪ねた「海鮮」というまぐろ中心の回転寿司店があまりにも美味しくて、今回はそこにもう一度行くということだけを目的に三浦半島へと出てきました。

 「海鮮」で食べたマグロ料理は、今回もやはり抜群の美味しさでした。

 ですがその先どうするか、なんにも考えていませんで……。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainレクリエーション券を使って温泉に入った後、早々に三崎口を去って横須賀に来てみたわけです。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainで、今いるのが横須賀の三笠公園。

 奥に戦艦が見えますね。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainあの戦艦は、公園の名前にもなっている「三笠」といいます。

 そして、その前にある像は、東郷平八郎!

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain東郷平八郎さんといったら、日露戦争で活躍した人……というくらいしか知識がありません……。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain日露戦争の非常に重要な局面となった「日本海海戦」という戦いで、ロシアの艦隊(戦艦を中心とした集団)を壊滅させた人ですよ。

 この勝利は本人も後に「奇績」だったと振り返るくらい危うい戦いだったのですが、ともかく日本はこの勝利によって多くのものを得たのです。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain40年前まで江戸時代やっていた国が、一等国ロシアに勝ったわけですものね。

 そりゃあ、日本にとっては実に華々しい勝利だったことでしょう。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainですが、一方でこの戦いによって日本の歯車が狂ってしまった……と分析する知識人も少なくありません。

 例えば司馬遼太郎さんは、晩年の名エッセイ『この国のかたち』で、こんな不思議な文章を書いています。

 司馬さんは夢の中で、「巨大な青みどろの不定形なモノ」に出会います。

 この化物は粘膜質にぬめっており、両目が金色に光り、口中に折れた牙がある。

 君は何かね、と問うと、日露戦争の勝利から太平洋戦争までの敗戦までの時間が形になって捨てられたモノだ、と応えるのである。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainなんだかグロい。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain以降、この化物と司馬さんとの問答によって、日露勝利から太平洋戦争までの40年がどういう時代だったのかを比喩的に物語られるのですが、結局司馬さんがこの文章を通して問おうとしていることは、「日露戦争の勝利以降、日本の歯車がどう狂っていったか?」ということなのだと考えられます。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainふむふむ。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainそれから、作家の半藤一利さんは、昔「その時歴史が動いた」というNHKの番組にて、こういうことを言っていましたよ。

 日露戦争の勝利は日本にとって「惨勝」、つまり実にギリギリの惨めな勝利であったにも関わらず、為政者や軍部はそのことを正しく伝えなかった。

 そのために、「日本は強い」とのぼせ上がる人がたくさん出てきてしまった。

 こののぼせ上がりが、後に海軍を大拡張させ、太平洋戦争を導いてしまったのだ。

 日本は日露戦争までの40年で国を造り、日露戦争からの40年で国を滅ぼしたのだ。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain日露戦争と太平洋戦争の関係なんて考えもしませんでした。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainこういうお話を聞いていると、まるで東郷平八郎が日本海海戦で勝利を収めたところから太平洋戦争に向かっていく歯車が動き始めてしまったのだとすら思えてきます。

 その歯車を止めるタイミングは、何度も何度もあったはずなのですが。

 最後に、東京大学教授の加藤陽子さんは、日露戦争と太平洋戦争の関係についてNHK「さかのぼり日本史」の中でこう述べていました。

 日露戦争での勝利は、当時の男の子の心に深く刻み込まれた。

 彼らは、自由帳に戦争に関する落書きをして育ってきた。

 戦争における負けを経験してこなかった彼らは、語弊があるかもしれないが、戦争をエンタテインメントとして捉えてきた世代なのだと言えそうである。

 さぁ、そこから30年。

 日本が英米相手に開戦するかどうかの瀬戸際で、その決定をする政治の中心にいたのは、30年前、自由帳に戦車を書いて育った男の子たちです。

 「日本とアメリカとの間には、たしかに大きな国力差がある。だけど、日露戦争でも勝てたじゃないか! 作戦や戦い方次第では、アメリカにも勝つことができる!」

 軍のえらい人たちは、日露戦争の勝利から得た精神的土台によって、こんな判断をしてしまったのだとも考えられるそうです。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain日露戦争での勝利は、当時の日本人にとっては大きすぎたのかもしれません。

 そして、その大きすぎる勝利を可能たらしめた要因のひとつが、東郷さんの作戦だったと。

 東郷さんがどんな戦い方をしたのか、気になってきました。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainでは、今日のテーマは「東郷平八郎は日露戦争でどのような戦いをしたのか? 戦艦『三笠』を散歩しながら考えてみよう!」としましょう。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain第二回「海鮮」はテンションが上りすぎて写真を撮っていなかったので、最初に訪れた時の写真をば。

 これに、ドリンク一杯が付きます。

 さらに、追加注文をすることもできます。

 やはり「みさきまぐろきっぷ」はコスパ良すぎ(回し者ではありませんよ!)。

 

日露戦争とはどんな戦争か?

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainそもそも、日露戦争ってどういう戦争ですか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain世界地図を想像してもらえばわかりやすいのですが、日本とロシアがアジアに進出しようとしたら、必ずぶつかります。

 この衝突が戦争に至ったのが日露戦争であるといえるでしょう。

 今回の主題は戦争に至る経緯ではないので、これ以上は触れないでおきます。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain先ほどの説明からするに、ロシアと日本の力の差は大きい……と思われていたんですよね?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainその通りです。

 日露戦争前、国民からは「日本のアジア進出を邪魔しやがって! ロシア倒すべし!」という声が上がっていました。

 ですが、そうしたいのは山々であるものの、片や世界指折りの大国、片やアジアの小国なわけです。

 開戦を決定した会議から戻った伊藤博文は、「陸軍も海軍も勝てる見込みがない。陸軍が負ければロシアは朝鮮半島にまで来るかもしれない。海軍が負ければすべての戦艦が沈没してしまうかもしれない。そうしたらロシアは九州に攻め寄せてくることになる。その時は、私も兵とともに武器を取って戦おう」と言ったくらいだったといいます。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain日本の命運を背負った大事な戦いであるものの、悲観的な見通しだったんですね。

 

日本は日露戦争でどんな困難に直面したか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainこうして、1904年2月8日に日露戦争は開戦しました。

 日本の軍部も、戦争の成り行きを見守る世界各国も、日本はすぐに負けてしまうのではと思っていたのですが、ところがどっこい、意外と善戦しました。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainえ、そうなんですか!

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainですが、勝利のたび日本にのしかかる犠牲も大きかったのです。

 ロシアの新兵器、機関銃によってたくさんの兵士が死んでいく。

 完成したばかりのシベリア鉄道で増援が来るかもしれない。

 さらに、弾薬の不足が日本を悩ませました。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain弾がないと戦えません。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainその弾は、日本から海を通して送らなければいけません。

 そこで、日本から戦場へ弾薬などを補給する海の補給路を潰してしまえば、日本は戦えなくなるじゃないかとロシアが考えるのは当然のことです。

 補給路を守る日本の「連合艦隊」にいる戦艦は6隻。

 対して、これを潰そうとするロシアの「旅順艦隊」にいる戦艦は、7隻。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainあれ、6対7なら戦えないこともなさそうですが……。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainロシアはそんなに甘くなかった。

 確実に補給路を断つために、ロシアはバルト海に待機させていたバルチック艦隊を呼び寄せることにしたのです。

 これが旅順艦隊と合流してしまえば、戦艦だけで8隻が追加されてしまい、6対15の戦いに。

 お話にならないわけですね。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainうわぁ……大ピンチです!

 日本はどうやって乗り切ったのでしょうか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainそこで登場するのが、東郷平八郎なんですよ。

 

東郷平八郎はその困難をどうやって乗り越えたのか?

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f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain東郷平八郎は、薩摩藩の生まれです。

 幕末の戦争に参加したのち、25歳でイギリスに留学します。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainむむ?

 なぜ、イギリスなんですか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain当時、イギリスは海軍力が高かったからです。

 東郷はイギリスに海軍の勉強をしに行きました。

 今でもイギリスに残っている当時の東郷の成績表を見ると、「基礎能力はそこそこだが、決断力がエクセレント」と書かれているそう。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainその決断力は、老熟した後も活かされたと。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainそんな経験や能力を買われて、彼は日露戦争で連合艦隊司令長官となりました。

 この戦争での大きな仕事としては、先述の通り、ロシアと戦っている軍に物資を届けるための補給路を確保することです。

 最初からアジア近辺にいた「旅順艦隊」と、バルト海から来る「バルチック艦隊」に合流されてしまってはまずいので、まずは「旅順艦隊」を潰そうということになったのですが……。

 これがうまくいかず、海軍は「旅順艦隊」を取り逃してしまいます。

 結局陸軍が陸上から倒したものの、死傷者は6万人。

 海軍の失敗のために多大なる犠牲を出してしまったわけです。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain英雄・東郷平八郎もすべてがうまくいったわけではなかったのですね。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainやはり、歴史上の英雄も人間なんですな。

 さて、一応「旅順艦隊」は倒せたものの、安心はできません。

 大問題の「バルチック艦隊」が日本に迫っているわけですからね。

 これはなんとしても、補給路を潰される前に全滅させないと。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain負けられない戦いが、そこにある。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainここで、東郷平八郎が使った「丁字戦法」という作戦についてお話しておきましょう。

 

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f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain青丸、赤丸共に戦艦だと思ってください。

 丁字戦法とは、双方が向かい合っている状態で急ターンし、敵の進路を塞ぐ作戦です。

 うまく決まれば、敵は進路変更をできないまま、日本の艦隊が敵の艦隊に集中砲火を加えることができます。

 3の図が、ちょうど漢字の「丁」のようになるためにこう呼ばれています。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plainおお!

 そんな作戦があるんですか。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainですが、この作戦には弱点があります。

 ① ターンが決まる前に敵に進路変更をされたら、逃げられてしまう。

 ② ターンをしている間は、ターン中の戦艦は無防備になってしまう。

 そこで、ターンをする距離を見極めないとなりませんし、ミスは許されません。

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain割りと、一か八かの作戦なんですね。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain以上を踏まえて、横須賀の戦艦「三笠」を散歩しながら、日露戦争の、そしてその後の日本の運命を決めた「日本海海戦」を見てみましょう。

 

実際に「三笠」を散歩してみよう!

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain戦艦「三笠」の全体像を撮り忘れたので、こちらの写真でご勘弁ください……。

 奥に見えますのが、日露戦争で東郷平八郎が乗った戦艦「三笠」でございます。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain乗り込んですぐ、「三笠艦橋の図」という有名な絵の前で記念撮影をすることができます。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plainでは、「日本海海戦」の経緯を見ていきましょう。

 1905年5月27日早朝、警戒態勢をとっていた「信濃丸」という巡洋艦がバルチック艦隊を発見しました。

 日本の連合艦隊はすぐに出撃し、13時39分にバルチック艦隊と遭遇。

 13時55分にはZ旗(上図)が東郷の命によって上がりました。

 「皇国の興廃この一戦にあり各員一層、奮励努力せよ」

 との意味を表します。


 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plainきつい階段をのぼってデッキまで行くと、そこには東郷平八郎が指揮を行った場所が示されています。

 14時2分、バルチック艦隊と連合艦隊の距離は10,000メートル。

 先に失敗した旅順艦隊との戦いでは、この距離でターンを始めたために逃げられてしまいました。

 確実に丁字の形を作るために、もっと接近したい。

 ですが、あまり近づきすぎると敵の的になってしまう。

 東郷は8,000mの距離に迫った時、ターンの指示を出しました。

 ロシアは射程距離内で日本がターンを始めたために大チャンスだと思い、300発の砲弾を撃ち込みました。

 しかし、ロシアの砲撃技術が高くなかったことと、東郷の運がよかったことにより、致命傷にはならず。

 こうして丁字の形が完成し、東郷はバルチック艦隊を一隻ずつ撃破できたのです。

 東郷は戦闘の間、危険極まりないこのデッキから動かなかったそう。

 20時になって東郷がようやくデッキから去った時、彼の立っていた靴跡の部分だけ水しぶきで濡れていなかったそうです(一歩も動かなかったということ?)。
 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plainこのデッキ、のぼるのは大変ですが、眺めがとてもいい。

 奥には猿島が見えます。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plainデッキから見える、車を船に積み込む景色は壮観。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plainデッキだけではなく、内部にも興味深い展示がたくさんあります。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plainお風呂やトイレまで見られますよ。

 船酔いやばそう。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain日本海海戦をテーマにしたゲームや、VRの映像なども楽しめます。

 ちなみに、ゲーム画面右下のマップを見るとわかりますが(日本の連合艦隊は青)、操作がうまくできずにわけの分からないところでターンしています。

 もはや丁字でもなんでもない。

 それでも、余裕でゲームをクリアできました。

 天国の東郷さんも、色々な意味でガッカリしていることでしょう。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain帰りには、有名な「ベンガル」というカレー屋でカレーを食べてきました。

 

まとめ

f:id:school_of_dog:20151105224441j:plain東郷の決断力と度胸に基づいた丁字戦法に勝利のカギがあったことは分かりましたが、これは完璧な作戦ではなかったようですね。

 例えば運悪く、というかこっちが当たり前なのかもしれませんが、ターンの最中に「三笠」が致命傷を負ったら日本は負けていましたね。

 それから、「皇国の興廃、この一戦にあり」という言葉には考えさせられます。

 長期的な視点で見れば、この戦いに勝ったことによって日本は興ったのでしょうか、廃れたのでしょうか……。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain丁字戦法のターンが決まったことと、今日の日本の形とは、必ずしも無関係ではないのでしょうなぁ。

 こういう風に妄想をできるのが歴史の面白いところなのかもしれません。

 

参考資料

・NHK「その時歴史が動いた 運命の一瞬・東郷ターン」

・NHK「さかのぼり日本史 昭和 とめられなかった戦争 第2回」

・司馬遼太郎『この国のかたち 一』文藝春秋

・古川清行『スーパー日本史』講談社

f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain『坂の上の雲』、NHKのドラマで見ようかと思いましたが長くて挫折……。

 『坂の上の雲』すら見ておらんのにこんな記事書くなよ、とのご指摘ごもっとも……。

 いつか必ず。

 そしてその後にこの記事を見たら、抜けの多さ、視点の甘さに絶望して消したくなるんだろうなぁ(笑)