School of Dog?

とりあえずは社会科に絞ろうと準備中。

日光東照宮は、ただキンキラキンなだけなのか?

日光東照宮は、ただキンキラキンなだけなのか?

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f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain日光東照宮に来てみました!

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain世界遺産「日光の社寺」の一角ですね。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain1月第1週目の本日は初詣に来た人たちで激混みかと思いきや、想像していたほどではありませんでした。

 某ネズミさんの国くらい身動きが取れなくなるんじゃないかと、ヒヤヒヤしておりましたが。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain三が日を過ぎて、参拝客の数も落ち着いたのでしょう。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainそういえば、ちょっと前の話になりますが、NHKの「ブラタモリ」という番組でここにタモさんがいらっしゃったのをテレビで観ましたよ。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain面白いですよね、あの番組。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain毎回見ているわけじゃないのですが、その時は偶然録画してあったんです。

 で、番組の中でタモさんが、「どうも今までね、(日光東照宮は)ちょっとキンキラキンキンキラキンしすぎてんじゃないかと思ったら、ちゃんと考えられてるんですね」とおっしゃっていましてね。

 私なんかは小学生の時分に修学旅行で来たものですので、そのキンキラキンな装飾を見て、みんなで「カッケェ!」と盛り上がったものでしたが……一般にはそういうネガティブなイメージがあるのですか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainタモさんのような感想を持っている方は少なくないようです。

 特に、ブルーノ・タウトの言葉がそうしたイメージを後押ししたようで。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainタウトといったら、あの有名な建築家ですか!

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainそうです。

 ナチスが政権を握った時代、ユダヤ人のタウトは日本に亡命していました。

 そこでタウトは日光東照宮を見て、「これは威圧的だ! 建築の堕落だ! しかも堕落の極地だ!」というようなことをいったわけです。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainえ!?

 そうなんですか!

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainただ、この評価は必ずしも妥当ではないと、見直されつつあるんですよ。

 どうです、今日は「日光東照宮は、ただキンキラキンなだけなのか? キンキラキンにはちゃんと意味があるのか?」という問いについて考えてみませんか。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainまぁ、本当に意味がないのであれば、世界遺産には登録されないでしょうからね。

 気になるところです!

 

そもそも、日光東照宮とは?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainそもそも、日光東照宮とは何なのでしょうか?

 ここはさらっと行きますよ。

 ジャブ程度に聞きますが、日光東照宮は神社ですか? お寺ですか?

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainこれはさすがに大丈夫です!

 日光東照宮は、徳川家康を「神」としてまつることが目的なんですよね?

 なら、神社です! ……よね?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainはい、そのとおりです。

 家康は、天下統一を成し遂げた後、「戦国の世を再び呼び起こさないようにするためにはどうすればよいのか?」と考え、二代・秀忠に将軍の座を譲ったあとも大御所としてさまざまな施策を考案しました。

 そして、その最終段階が「自分自身が神となり、日本の平和を守る」ことだったのです。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainなるほど、人々が徳川家をヒトとしてではなくカミとして信じるようになれば、幕府への精神的な信頼感も安定するでしょうね。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain家康はこのプランを実行するために、次のような遺言を残しました。

 「(自分が死んだら)遺体は駿河国(現・静岡県中部)の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国(現・愛知県東部)の大樹寺には位牌を納め、一周忌が過ぎてから、下野(現・栃木県)の日光山に小堂を建てて勧請せよ(※意訳:自分の分霊を日光に移して、神としてまつること)」

 こうして、家康は「東照大権現」という神様になったわけなのです。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain日光東照宮は、家康の「幕府による統治を安定させて戦乱のない国を作る!」という意思によって造られたんですね。

 ところで、なぜわざわざ日光なんですか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain日光は江戸のほぼ真北だから、と言われていますね。

 真北とは、北極星のある方角。

 そして北極星とは多くの星の中心であり、「宇宙を主宰する神」を意味するのだとか。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainつまり、家康は宇宙の神として江戸を見守っているぞと、こういうことですか。

 日光東照宮、実によく考えられていますねぇ。

 

日光東照宮は、なぜキンキラキンになったのか?

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain先ほどの家康の遺言を見ると、「小堂」、つまり小さな堂を造れとしかいっていませんよね。

 タモさんの言葉を借りれば、キンキラキンに造れとはどこにも書かれていない。

 じゃあ、一体誰がキンキラキンにしたんですか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain日光東照宮をキンキラキンにした張本人、それは三代・家光です。

 1634~36年(寛永年間)、家光は日光東照宮の大規模な建て替えを実施します。

 これを「寛永の大造替」といいます。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain工事期間は、2年かかっていないくらいですか。

 ヒトとカネを使いまくる、超・国家プロジェクトですね。

 当時はどれくらいのお金がかかったのでしょうか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain高藤晴俊さんの『日光東照宮の謎』という本には、こんなことが書かれています。

 日光東照宮を建て替えるには、大工・絵師・職人などなど、本当にたくさんの人を動員しないとならなかった。

 この工事に関わった総延べ人数は、約650万人と計算されているそうで。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain650万人!

 今でもこの人数を動かしたらぶっ飛んでいると言われそうですが、当時の人口は今より格段に少なかったんですよね。

 信じられない規模です。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainしかも、家光は「費用お構いなし」、つまり「いくらかかっても構わん!」と指示したそうです。

 工事の開始直後、「総工費は100万両かかります……!」との報告を受けた家光。

 この金額、何と当時のGNP比5%ほどだったとか。

 現在に当てはめて考えれば、何百兆円という金額になることでしょう。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain一個の工事に何百兆……。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainそれを聞いた家光、「かかり過ぎじゃあ!」と怒るかと思いきや、出てきた言葉は「よしよし、思ったより安くできたな」であったそう。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainもはやマンガの世界のお話。

 そりゃあ、日光東照宮は「江戸のテーマパーク」にもなりましょうよ。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainさぁ、問題はここからです。

 時代が違うとはいえ、さすがに一つの神社に理由もなく何百兆円もかけられるはずがありません。

 なぜ、家光は莫大なお金をかけて日光東照宮をキンキラキンにしたのでしょうか?

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain「ブラタモリ」では、徳川の威光を示したかった、徳川家が治めていれば安心だと人々にアピールしたかったと説明されていましたよね。

 放送を見ていて、なるほど芸術を楽しむというのは平和な時代でないとできないことだなと考えました。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain確かに、生存の限界に追い詰められている庶民には、芸術を楽しみたいという発想は出てこないかもしれませんね。

 「30年前の戦乱の世の中では誰が正しのかわからなかっただろうけど、今は徳川家を信頼してくれ!」という主張があったのでしょう。

 言い換えれば、もう安心して暮らしていけるようになったんだよ、と。

 誰かに殺されるということのない時代にしようよ、と。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain江戸幕府が成立したとはいえ、戦乱の世が明けてわずか30年。

 家康がさまざまな政策を行ったとはいえ、「絶対に幕府が反乱の憂き目にあわない」という保証はどこにもありません。

 精神的に人々の信頼を勝ち取るにあたっては、あえてキンキラキンな東照宮を造ることに意味があるのだと感じられますね。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plainちなみに、日光東照宮は寛永期(大坂の役が終わったあと、幕府の体制が整備された時代)の文化としてはちょっと特殊な派手さを持っているということをおさえておくといいかもしれません。

 どちらかというと、これより以前の桃山文化を引き継いでいるような。

 寛永期の他の文化は、秩序と落ち着きを取り戻しています。

 

日光東照宮は、具体的にどこらへんが平和の象徴なのか?

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain「平和」と「徳川家」。

 これらをキーワードに日光東照宮の建築や彫刻を見ると、気付けることもありましょう。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain三が日を過ぎたとはいえ、やはりそれなりに混んでいますね。

 あんまり立ち止まって見ることはできませんが、ちょっと見学してみましょう。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain「ブラタモリ」でも紹介されていた、遠近法を取り入れた階段です。徐々に階段の横幅が狭まっていて、鳥居が実距離よりも遠くに見えるそうです。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain鳥居に寄ってみると、黒田長政の字が。この石鳥居は、九州から小山まで船で運ばれ、その後この日光に人力で持ってこられたとのこと。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain近頃修復された「三猿」。以前のものと比べると塗りがかなり変わっており、当時は「ヘタすぎワロタwwwww」のような記事がネットに飛び交っていたように記憶しています。姫路城も白くなりすぎて「これじゃあ白鷺城ではなく白すぎ城じゃん」の批判を浴びていましたが、学問的見地に拠って修復しているとのことで……。私は修復されたサル、好きですけどねぇ。あ、周りでは観光客が「そうそう、サルがイケメンになったんだってね!」「あ、本当だ!」のような会話をしておりました。心配ないのかもしれません。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain水戸黄門で有名な葵紋が至るところにあります。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain唐門に彫られた「舜帝朝見」の彫刻です。日光東照宮はキンキラキンなだけなのか、という今回のテーマを考えるにあたって、重要な意味を持っていると思われます。

 堯帝(ぎょうてい・中国神話に登場する君主)は、舜帝(しゅんてい)の人柄に惚れ込んで娘婿とし、やがて摂政とした。堯帝が亡くなったあと、周りは舜帝に皇帝になるよう勧めたが、舜帝は「堯帝の息子が継ぐべきだ」と断った。だが、その息子には政治をする力がなく、舜帝が皇帝となったわけです。世襲でもなく、武力で政権を奪い取るわけでもなく、国を治める力のある者に政権が譲られる「禅譲(ぜんじょう)」がなされました。

 高藤さんは、秀吉を堯帝、家康を舜帝になぞらえていると説明しています。徳川政権は豊臣家から力づくで奪ったわけではない。徳川政権は、禅譲によって実現した、本当に能力のある政権なのだと言うのです。

 徳川家のエゴと言われればそれまでかもしれませんが、日光東照宮をよく見ればみるほど、戦国の世を終わらせて平和な世の中にしようよという徳川家の理念が表現されているように思われます(もちろん、そんなキレイな話だけで成り立っているものではないでしょうが)。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain日光東照宮の彫刻総数は、5173体だそう。徳川家というキーワードで見ると、寅年生まれの家康、兎年生まれの秀忠、辰年生まれの家光にちなんで、トラ・ウサギ・龍の彫刻が多い。ご覧の写真にも龍がびっしり!

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain圧巻の彫刻数。ちなみに、ここに来るまでの間にヨークシャ先生とダックス先生はDSで「星のカービィウルトラスーパーデラックス」をやっていたので、手前の鳥はダイナブレイドにしか見えませんでした。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain陽明門の中には、ひとつだけ逆さの柱があります。彫刻が逆さなのかと思って必死に探していたのですが、文様で見分けるのですね。隣ではお父さんが男の子に向かって「なぜ逆さなのか?」と説明していましたが、男の子は興味なさそう。ちびっこ相手に何かを伝えるのは難しいですね。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain左甚五郎の眠り猫。奥社への通路上にあるのですが、「通路上での撮影はしないで下さい」との注意書きが。最大公約数的なズームレンズしか持っていなかったので、遠くから撮影してあとでトリミングしました。この裏にはスズメの彫刻。高藤さんは「スズメのような弱者も安心して暮らせる時代になったのだよ」というメッセージだと解釈。ブラタモリでは、「この姿勢でネコは寝ることはなく、つまり寝たフリであり、いざ問題が起きたら幕府はすぐに起きるぞ」というメッセージだと分析。想像と謎解きは、日光東照宮の魅力ですなぁ。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain眠り猫を過ぎて階段をのぼると、家康の墓(と言われている場所)に着きます。横でちっちゃい子が「ねぇねぇ、ここに本当に家康が眠っているの? なんで誰も見てないのにそう言えるの?」と、歴史学という学問の根底を揺さぶるような問いを発して両親を困らせていました。

 

まとめ

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain「日光東照宮はキンキラキンなだけなのか?」という問いを考えてきました。

 私なりに考えをまとめてみると、「日光東照宮は確かにキンキラキンだ。だけど、戦乱の世が終わり、安定した政権を作りたいという徳川家のねらいがあったということを踏まえれば、そのキンキラキンにはちゃんと意味がある」ということになりますね。

f:id:school_of_dog:20151105224443j:plain文化や芸術は、その時代の政治や経済、人々の暮らしと切り離して考えられませんよね。

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plain以前、修学旅行で来たときよりも大変に充実した見学になりました。

 

参考資料

・高藤晴俊『日光東照宮の謎』(講談社、1996)

日光東照宮の謎 (講談社現代新書)

日光東照宮の謎 (講談社現代新書)

 

f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain日光東照宮の神職を務める高藤さんによる新書です。

 この記事の7割くらいは、この本から学んで書きました。

 この記事の100倍以上の濃密さで、家康が神としてまつられた経緯を辿り、日光東照宮の彫刻を分析しています。

 なかなか入手できず、新宿駅東口の紀伊国屋で発見したものです。

 

・NHK「ブラタモリ#25 日光東照宮」