School of Dog?

ブログというより、昔のホームページみたいな……。

百年文庫014「本」

(014)本 (百年文庫)

(014)本 (百年文庫)

 

 

 

「本」にまつわるエトセトラ

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain小さいころから、本が好きだった。

 小学生のときは、外で遊ぶよりも図書館で本を読んでいたかった。

 読書感想文に選ぶ本もませていて、大人の目には(悪い意味で)変な子どもに映ったことだと思う。

 大学生のときは、バイト代が入ったらその足でブックオフに行き、トートバッグが満パンになるほどの本を買った。

 しかし、本は引っ越しの際に持っていくことが大変だと卒業時に気づき、大半を処分してしまった。

 あぁ、多少配送費用ががかかってもいいから、あの時アイツラを捨てなければ。

 いや、せめて1冊数行ずつでもいいから記録を残しておけば。

 しばらく経ってから、すごく後悔したことを覚えている。

 

 それから仕事が忙しくなり、仕事のための本ばかり読んで小説を読まなくなっていった。

 これじゃまずいなと休みの日なんかに小説を読み始めてみても一気に読み切ることができず、仕事の日々に戻ってしまえばもう小説の展開を覚えていない。

 ボクは、いつしか読書を楽しめなくなっていた。 

 

 そんなときに出会ったのが、『百年文庫』シリーズだった。

 素敵な装幀に、テーマに沿った3つの短編。

 これなら、一晩のうちに読み終えることができる!

 地元の図書館に100冊すべて揃っていたので、気になったタイトルを借りてはちびりちびりと読んでいた。

 

 そうだ、感想を書かせていただこう!

 今回は「本」をチョイス。

 久しぶりに、本を読むために本を読みたいような気分になったからだ!

 

 ところで、ブログの読書感想文を読む目的って、新しい本に出会いたいというよりかは、感想を共有したいとかそういうところにあるのだと思っている。

 少なくともボクは、もっぱらそうだ。

 何かを読み終わると、ついつい「書籍名+ブログ」と検索してしまうクセがある(Amazonのレビューではなく、ブログに書いてある感想を読みたい!)。

 だから、あんまり作品のストーリーについては書かないで、感じたことを書くに留めています。

 ネタバレを含むので、ご注意ください。

 

島木健作『煙』(自分は特別な人間ではないと知ってしまった人に捧ぐお話)

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain死ぬかと思った。

 挫折の中で、「自分は特別にはなれない」と知ってしまったかつてのボクの気持ちを、これ以上なく見事に表現されてしまったからだ。

 理想と現実の間でもがき続けて、息継ぎができずに溺れそうだった時代を思い出して、心がマッシュポテトになった。

 

 主人公の耕吉(30)は、学業に秀でていて学生時代には特別な才を自分に感じていたようだ。

 だけど、いざ学校という枠を出て社会というバケモノと対峙したとき、本当に色々とうまくいかなくて、耕吉は少しずつ、自分が無力で無能だと思うようになる。

 それまで持っていた傲慢な心が折れて、「自分は他のヤツとは違うぞ」という感覚がなくなっていった(これは成長なのかな? 諦めなのかな?)。

 

 「おれはどうやって生きていったらいいものだろう?」

 彼は学生時代、この問いの前に立ったとき、不安だったけどワクワクもした。

 だけど、今となってはこの悩みに喜びはなくなっている。

 「『お前はもうここまで』と仕切られてしまったこっち側で、では、どこへ腰を据えたらいいものだろう? とあわててうろうろとあたりを見まわす」のだ。

 

 自分が持っている理想像と実際の自分とのミスマッチに感づき始め、どんどん自分に自信が持てなくなっていく。

 そうすると、言動も行動もおぼつかなくなって孤立し(恐らくそれは錯覚なのだけど)、さらに周囲からの孤独感と自分の無能感を強めてしまう。

 中二病でも、高二病でも、大二病でもない。

 社会人二年生病みたいなもののイタさや切なさが描かれていて、バファリンよろしく半分は黒歴史でできているボクの心をグッサリえぐってくれる作品だった。

 今まで、一度でも手痛い挫折を経験したことがある人なら、この孤独感に共感するんじゃないかなぁ。

 

 彼は一日一日をせい一ぱい生きてゆく人生は、どんな道をたどろうとも無駄はないはずだということを少年時代において信じて生きて来たものだった。いろんな道を歩いて来たが、今までのすべての道は内面においてずーっとつながって来た。それが今になってぷっつりと切れるような気がする。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainボクはここらへんを読みながら「おぉ、もうやめてくれ……」って心の中で叫んだ。

 

ユザンヌ『シジスモンの遺産』(文学的昭和ギャグマンガ)

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainタイトルからして本にまつわるオシャレで知的な会話の飛び交う作品かと思って読み始めたら……これ昭和のギャク漫画じゃねぇか!

 目がチカチカするほどのエクスクラメーション・マーク!!

 本ヲタクが行き過ぎて思考回路が狂った登場人物たちの熱き罵り合い!!!

 

 ストーリー展開は、まさしくギャグマンガそのもの。

 オチも打ち切りマンガのそれ。

 ひとつ違うのは、表現がムダに文学的なところである。

 詩的表現や比喩を巧みに使ってドタバタを描くとこうなるのかという、類まれなる奇作。

 

 主人公・ラウールは、超がつくほどの本コレクター。

 半年前に死んだコレクターライバル・シジスモンの蔵書がほしいのだが、シジスモンは貴重な本が死後誰にも渡らないようなしくみを作り上げていた。

 そのひとつが、従姉妹を遺産相続人にすることだった(全部読めばわかる通り、これは策というか失策でしかないのだが……)。

 

 ラウールは、この従姉妹(58)を妻にして蔵書を手に入れようとするのだが、彼の専属弁護士はこれを止める。

 なぜか? それは、彼女がどうしようもなくブサイクだからである。

 この、弁護士とラウールのバカバカしいやり取りでさえ文学的だ!

 

 ラ「女性とはなんぞや? イヴの一版にすぎん、保存程度に多少の差はあるがーー」

 弁「なるほどーーしかし装幀も大事なんでは?」

 ……

 弁「まさか本気で(結婚すると)おっしゃってるんでは! わたしはお目にかかりました、問題のエレオノールさん(従姉妹)に。古板同然に干からびた、まさに怪物ですぞーー」

 ラ「ーーさあ、出かけたまえ! 急ぐんだ!」

 弁「ーー野ざらしになって萎んだ赤りんごみたいに皺だらけ、化物です!」

 ラ「うるさい!」

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainこいつの目は、見たものすべてを本に変換するのか。

 さながら、なんでも下ネタに喩えようとする男子高校生の会話のようだ。

 「11/11だからポッキー買ったんだけどさ、CMがガッキーで俺のポッキーもボ(自粛)」みたいなやつ。

 この程度のテンションは序の口。

 物語が進むに連れて、彼らのテンションもクレッシェンドしていく。

 まさかこんなところで、本を読みながら笑う日が来るとは思わなかった。

 

 それから、電子書籍が紙の本を完全に駆逐することはないんじゃないかな。

 本はやはり、中に書いてあるコンテンツだけではなく、ブツとしての魅力をも備えているのだ。

 少なくとも、この小説の登場人物たちの脳みそをぶっ壊すほどの魅力を。

 

 佐藤春夫『帰去来』(速読できないお話)

 サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、それでも、俺がいつまでサンタなんていう想像上の赤服おじいさんを信じていたかというと、俺は確信をもって言えるが、最初から信じてなどいなかった。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainかの有名なライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』の冒頭、キョンのモノローグである。

 当時、一文が長いだのなんだのと言われていたような記憶がある。

 しかし、これが読みづらいのであれば、佐藤春夫の『帰去来』はどうなってしまうのか。

 

 最初のページを開けば、ボクの言っている意味をお分かりいただけると思う。

 く、句点がない……!

 そう、見開きまるまる句読点がないのだ。

 初めて「。」が登場するのは5ページ目。

 小学校の作文であれば、先生に処刑されてしまいかねない。

 流し読みというのは、句読点があるからできるのだなと改めて思った。

 

 だけど、これを「句読点がなかなか出てこない奇抜なお話」と片付けてしまってはもったいない。

 主人公の詩人と、いわゆる「青い鳥症候群」に罹っている青年との力の抜けた会話がなんとも心地良い。

 オチは洒落ているし、タイトル回収もなされている。