School of Dog?

ブログというより、昔のホームページみたいな……。

スピッツ「ヒバリのこころ」と、ヒバリの生態

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 僕らこれから強く生きていこう
 行く手を阻む壁がいくつあっても
 両手でしっかり君を抱きしめたい
 涙がこぼれそうさヒバリのこころ

 

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainスピッツの曲って、何を伝えたいのかがよくわからないんです。

 永遠の愛とか、腐った競争社会への怒りとか、戦争を忘れた人々への嘆きとか。
 何か伝えたいものがあったり、ブチかましたい激情があったりするから歌詞を書くんじゃないのかな。
 だからこそ、歌に感動する人がいるんじゃないのかな。
 歌詞を書いたことのない私なんかは、安直ですが、そんな風に考えてしまいます。
 
 翻って、スピッツの曲を聞くと、何を伝えようとしているのかが(少なくとも私には)よくわからない。
 わからないにも関わらず、スピッツには多くの根強いファンがいるのです。
 かく言う私も、もうどれだけスピッツを聞き続けていることか。
 曲と演奏と歌詞と声に、まさに「魔力の香り」があるんですなぁ、きっと。
 
 しかし、この「ヒバリのこころ」では、そんなスピッツにしては珍しく、ストレートな感情が表現されています。
 
 僕らこれから強く生きていこう
 行く手を阻む壁がいくつあっても

 

 これはこれで、すっごくいい歌詞。
 「行く手を阻む壁」に毎日を遮られている私なんかは、パキシルよろしく、定期的に「ヒバリのこころ」を摂取しています。
 
 「ヒバリのこころ」が作られたのは、草野マサムネ氏がハタチそこらの時でしょうか。
 ハタチなんで甘酸っぱい、いや酸っぱいだけだったけど、そんな時代をとうに過ぎてしまった私ですが、この歌詞は胸のど真ん中にズドンとくるのです。
 
 それにしても、草野氏はなんでヒバリという鳥を題材に引っ張ってきたんでしょうか?
 知識のない私は、フットワークでブログの内容を稼ぐしかありません。
 公益財団法人・日本野鳥の会にお願いして、「ひばりはどこに――見かけなくなった、春の風物詩――」という小冊子を送っていただきました。
 これで、「ヒバリのこころ」の謎は解けるのか。
 
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 約25ページのこの冊子は、ヒバリを最近見かけることがなくなったということを憂いて作られました。
 ヒバリは私たちにとってどれだけ身近だったか、そもそもヒバリとはどういう鳥なのかを確認してみよう。
 その上で、なぜヒバリは減少したのか、どうすればいいのかを考えよう。
 このような構成になっています。
 
 「ヒバリのこころ」に絡めて、気になったのは3点。
 
 ひとつめ、ヒバリは西欧文学作品の中で、希望や未来のお告げ、慈悲の象徴として描かれてきたということ。
 なんでも、はるか上空に舞い上がって、急降下する姿から、天と地を行き来する鳥だと考えられてきたとか。
 ヒバリは英語でlarkですが、"as happy as a lark"で「このうえなく楽しい」という慣用句になるそうです。
 
 草野氏は、他のアーティストが注目しないようなところに注目して歌詞を書きたいから、色々な詩や文学を勉強したとか。
 昔読んだ『旅の途中』にそんなことが書かれていたような、いないような。
 ものっそい曖昧な記憶で、すみません。
 

旅の途中

 
 アンデルセンの童話や、シェイクスピアの作品をはじめ、さまざまな文学作品にヒバリは登場するということで、草野氏はそこら辺まで調べていたんじゃないかな。
 希望の象徴としてのヒバリに、20歳青年の不安定な心理状態が重なったのか。
 また、どう考えても深読みですが、天と地を行き来する鳥というところに、生(性)と死を描きたかった草野氏が惹かれたのでは、とか妄想が膨らみます。
 
 ふたつめ、ヒバリは春に結婚するということ。
 
 春になると繁殖がはじまる。
 オスは自分のなわばりを主張したり、メスを呼び込んだりするために、上空や杭の上でさえずる。
 メスがやってくると、オスは頭の冠羽を立てメスの周りをピョンピョンと飛び跳ねて、「ぼくと結婚しょうよ!」とアピールする。

  

 冊子からの抜き出しです。
 「結婚しょうよ!」と、「よ」が小文字で書かれているところに、執筆者の茶目っ気を感じます。
 声に出すと「結婚賞与」に聞こえるかな。
 吉田拓郎もびっくりの生々しさだ。
 
 ということは。
 
 僕が君に出会ったのは冬も終わりのことだった
 降り積もった角砂糖が溶け出してた
 
 冒頭のこの歌詞は、自分の置かれている状態をヒバリに置き換えているんじゃないかな。
 サビの「僕」もヒバリかな。
 なんでも、ヒバリにはイタチ・カラス・ヘビなどの天敵もたくさんいるようで、それが「行く手を阻む壁」なのかもしれません。
 社会には、頭を狙ってくる上司とか、背中を狙ってくる同僚とか、足元を狙ってくる後輩とか、敵がいっぱいいますもんね。
 (話半分、いえ、話10分の1でお願いしますよ)
 
 そしてみっつめ、ヒバリは人間社会の発展に伴って減少し、追いやられているということ。
 経済成長の中で、ヒバリのすみかである草地と食料である虫は大きく減少しました。
 今やヒバリは、東京都版レッドリストでは、絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の危険が増大している種)に指定されているとか。
 
 これ、大きくて決して敵わない社会・世界 vs 君と僕、みたいな構図じゃないですかね?
 「フェイクファー」なんかは、こういう閉じた世界観が多いような気がしますが、「ヒバリのこころ」はその原点なのかもしれません。
 
 以上のことから、「ヒバリのこころ」というのは、自分をヒバリに例えて、君と一緒に繁殖して、行く手を阻む壁を超えていこうという、そんな曲なんじゃないかなって。
 荒削りではありますが、以降のスピッツにも通ずるような要素がたっぷり入った神曲です。
 

スピッツ

▲セールスをまったく気にしない、歌詞と音作りのこだわりがある。