仕事力に埋もれる生活力
はい、というわけでですね。
我が学校でもっとも生活力のないマロ先生にお越しいただきました。
いや、突然すぎだし、失礼じゃないですか!?
20代(人間換算)、独身、社畜。
三拍子揃ったマロ先生の生活はボロボロだろうと勝手に想像したのだけど、違うの?
た、確かに最近は仕事に行くのがいっぱいいっぱいで、ゆたかな生活を送っているとは言い難いけど……。
たとえば、昨日の夕飯は何を食べた?
昨日はちゃんと作ったぞ!
セブン○レブンで「金の麺(塩味)」と「五目野菜炒めセット」を買って、3日前に消費期限が切れた豚肉と合わせて、野菜ラーメンを食べました。
いや、小声で言っているけど、豚肉の期限思いっきり切れてるじゃない!
ボクの直感(嗅覚)が大丈夫と言っていました。
結果、何だか美味しくなかったであります。
うーん……。
じゃあ、今日の朝ごはんは?
食パンにマーガリン塗って、詰め込んで出勤してきました。
歯は学校で磨きました。
食パン詰め込んで家を飛び出すなんて、漫画の世界でしか聞いたことないわよ。
しかもそれ、やっていいの美少女限定なのよ?
ラブコメが始まらないとダメなのよ?
カロリーが取れればなんとか働けるかなあって……。
そして、お昼ごはんは毎日セブンイレ○ンのお弁当です。
マロ先生。
言いにくいのだけど、マロ先生の生活力、皆無よ。
そんなんじゃ体は壊すし、結婚はできないし。
何より、毎日楽しくないんじゃない?
言われてみれば、最近、毎日にゆとりがまったくないなァ。
何とかするために、もっと仕事を頑張らなきゃって思っていたけど、もしかしたら仕事ではなくて生活を疎かにしすぎていたからなのか……!?
仕事も、もちろん大切よ。
でも、仕事は生活のすべてではなくて一部なの。
そして、仕事は生活の目的ではなくて手段なのよ。
ここいらで、本書を通して、ちょっと生活について見直してみない?
うん、ちょっと気になってきたぞ。
そしてゴールデン先生、ステキなこと言っているけど、ボク知っているんだぞ。
ボクが国語の授業ギュウギュウ、てんてこ舞いな裏で、家庭科室でお菓子作って食べているの!
紅茶持ち込んでいるのだって知ってるんだぞ!
えっ、何のことかしら。
英語科から家庭科へと転身した情熱の教員!
『正しいパンツのたたみ方』。
タイトルからして気になる本だよな。
本屋さんでよく見るけど、読んだことなかったんだ。
本書の著者である南野忠晴先生は、元々英語科の教員だったの。
でも、仕事の中で家庭科に強い興味を持って、英語科から家庭科へと転身したらしいわ。
13年も英語科をやった上での転身だから、相当な決意と情熱があったんじゃないかしら。
あんまり聞かない話だよなァ。
ボク詳しくないのだけど、英語科の教員免許と家庭科の教員免許を同時に取得できる大学ってあるのかな?
ないのだとしたら、家庭科の教員免許取得からやったってことだよな。
南野先生は、授業で常に寝ている生徒、無気力そうな生徒、保健室通いの生徒なんかと高校で接していく中で、次のように感じたと言っているわ。
当初、僕は本人の心の問題だと思っていました。
それこそステレオタイプな考え方ですが、彼ら(彼女ら)に高校生らしい元気さや、活発さがないのは、やる気や根性がないからだと思っていたのです。
しかし気になって一人ひとりに声をかけ、話を聞くうちに、自分の考え方やとらえ方が間違っていることに気がつきました。
大半の生徒は、他の多くの生徒のように、「がんばりたい」「ちゃんとしたい」と思っていることがわかったのです。
しかしなかなかできないと言うのです。
そんなとき、僕の中に入り始めていた家庭科の知識が、「これは心の問題ではなく、生活の問題じゃないの?」とささやきかけてくれたのです。
(はじめに)
うわ。
確かにその通りかもしれないなァ。
やる気の問題に還元しないで、生活を見直させる。
小学校ではよくある考え方かもしれないけど、高校では見落とされがちだ。
生活を見直した上で、生活力を身につけ、毎日を堂々と歩いてほしい。
これが、南野先生の一番言いたいことなんじゃないかしら?
家庭科の面白さに気づく本
ボク、正直家庭科で習ったことって、調理実習と、ミシンのゴチャゴチャ感と、洋服のタグの見方しか記憶がなかった。
雑すぎる記憶だわ。
家庭科教師として悲しい限り……。
すんません……。
でも、確かに家庭科って高校生にとっては記憶に残りにくいかもしれないね。
著者の南野先生も、入試で必要な教科を「主要教科」と呼ぶのに対して、家庭科なんかを「副教科」と呼ぶことに違和感を感じるって言っているわ。
本来、勉強って入試のためにするものではないのよ。(p.48)
おっしゃる通りでございます。ハイ。
でも、ボクは別にそういう理由で記憶が薄いわけじゃないからな!
なんなら、理科だって記憶が薄いからな!
今、遠くでシーズー先生
の叫び声が聞こえたような……。
あ、ボク死んだかも。
ともかく、マロ先生にとって、生活を整えていくことは死活問題よね。
大人になってからこそ、家庭科を学ぶ意味って強く感じるんじゃないかしら。
そうだな。
もう一回学び直したいと、この本を読んで強く感じたぞ。
「正しいパンツのたたみ方」なんてないんだ!
さて、最後にこのキャッチーなタイトルについてなんだけど。
マロ先生は、どうやってパンツをたたんでいるのかしら?
この流れではあまり言いたくないのだけど。
洗濯物として取り込んだら、特にたたまないで引き出しに突っ込んじゃっています。
マロ先生……。
だって、パンツなんて誰にも見られないじゃん!
シワが若干ついてもいいじゃん!
もちろん、ふんどしの方はしわくちゃにならないように、ハンガーにかけたままクローゼットにかけているぞ。
そんなマロ先生には、「ただしいパンツのたたみ方」をこの本で学んでほしい。
……と言いたいところなのだけど。
「正しいパンツのたたみ方」なんてない、あるいは、すべてのたたみ方が「正しいパンツのたたみ方」であり、違う「正しい」を持った人たちがどうやって一緒に生活するかってのが大切なんだ、っていうのが南野先生の言いたいことだと読んだわ。
ワタシの言葉ではうまく伝えられないし、これ以上話すと本書を読む意義が減っちゃうから、この辺にしておくわね。
この本は、パンツのたたみ方に特化しているのかな?
それは違うわ。
生活力と家庭科の大切さに読者の目を向けさせたあとは、家族や社会なんかについて、南野先生と生徒とのやり取りを交えながら述べられているわよ。
授業の中でこれだけ生徒の言葉を引き出せるのだから、やっぱり南野先生は情熱溢れる先生なんだなって思う。
なるほど!
ただ、話が色々な方向に拡散しすぎているような気も、ちょこっとね。
それはこの本の長所であって、ちょっと残念なところでもあるような気がしたの。
家庭科っていう教科が、「生活をトータルに見る」ための「ごった煮」状態にある(p.11)以上は仕方のないことかもしれないけれどね。
▲放置によるシワ✕寄りかかることによるシワ=シワシワ状態。そんなことにすら気を使うことができない生活力の低さよ。