School of Dog?

とりあえずは社会科に絞ろうと準備中。

モリー・グプティブ・マニング『戦地の図書館』(極限状態の中で、活字は人に生きる力を与えた)

戦地の図書館 (海を越えた一億四千万冊)

戦地の図書館 (海を越えた一億四千万冊)

 

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain総務省によれば、今や日本人の83%がインターネットを使っているんだとか。

 ネットを閲覧する媒体も、PCからスマホに移ってきました。

 「もう、一家団欒の時間までスマホばっかり見て!」と嘆くお母さま方も多いことでしょう

 ボクもちょっと必要があって生徒に見えるような形でYoutubeにつないだことがあったのだけど、その時トップページに某大物Youtuberの動画サムネイルが出てきたんだ。

 そしたら男子生徒のひとりが、「あ、それもう見た!」。

 え、まじかいと思ったら他の子たちも「オレもー!」「ワタシもー!」。

 Youtubeパワーすげぇなぁと思いましたね、うん。

 再生回数何百万回とかホントかよ、なんかの陰謀が加わっているんじゃねぇかって疑っていたけど、あながちウソじゃないなって。

 

 若者のスマホ中毒。

 このことが語られるときにセットで必ずついてくるのが、若者の活字離れです。

 それがいいか悪いかは置いておいても、確かに本が読まれる機会はどんどん減っていますよね。

 

 じゃあ、例えばですよ?

 本が消えたら、活字が消えたら、人間は生きていけるのでしょうか?

 現代っ子からは「そんなのヨユーだよ!」という声が聞こえてきそうですが、果たして。

 

 「もしも極限状況の中に置かれた時、活字は人に何を与えるか?」

 そんな巨大な思考実験の結果を示しているのが、『戦地の図書館』です。

 これは良い本ですよー。

 (まぁ、アメリカ視点で書かれた本なので第二次世界大戦におけるアメリカの行動を正当化する文章となっていますが……。

 それは日本の本もお互いさまなので、さしあたっては目をつぶりましょう)

 

 時は1940年代前半。

 世界は第二次世界大戦に突入していました。

 アメリカの若い男性たちはパール・ハーバー奇襲を受けて急きょ兵士になり、不安と緊張の日々を過ごすようになります。

 

 最悪の環境の中で兵士たちが求めたものは、「字」でした。

 なんでもいいから読みたい。

 兵士たちは、陸軍の機関紙を取り合うほどだったとか。

 そこに面白い情報なんて何も書かれていないでしょうに。

 

 印象的だったのが、Kレーション(携帯用戦闘糧食)のラベルを前線で兵士がむさぼり読んでいたということですね。

 気を紛らわせたかったんだろうな。

 退屈の中で文字を求める気持ちはわかります。

 つまらない授業で資料集を読みたくなるアレですな。

 違うか。

 

 そんな兵士の要望に応えて、銃後の国民から戦地に本を送る「図書館運動」も行われました。

 ですが、市民が寄贈した本は神学の専門書など、兵士にとって面白くないものばかりで。

 

 兵士が読みたい本を厳選して送ろう!

 しかも、戦場でも持ち運べる形にしよう!

 こうして作られたのが「兵隊文庫」でした。

 

 縦10cm×横14cmの新しい本は、兵士の精神を幾度となく救ったそう。

 ある時、ドイツ軍が大砲を撃ってきて、船上のアメリカ兵士はみな「こっちに飛んで来るな!」と極限まで精神を張り詰めていた。

 そんな時、隊員のひとりが緊張感もなく(と見えるが、実際は緊張の限界だったのだろう)『ブルックリン横丁』という本を読んでいたのである。

 大佐は半ばあきれながらも、彼に『ブルックリン横丁』を音読させた。

 そしたらその本が面白くて。

 隣で砲弾が炸裂し、いつ死ぬかわからない戦場で、兵士たちは腹を抱えて笑ったそうな。

 

 「戦争とは武力のぶつかり合いだが、それ以上に、意志のぶつかり合いだ。本は兵士の心を強くする」とは、陸軍の士気作戦部長・ムンソン大佐の言葉。

 ドイツが非ドイツ的な本を焚書したことを引き合いに出しつつ、アメリカの図書作戦が語られる本なのでありました。

 

 結論:極限状態の中で、活字は人に生きる力を与える。

 

 ところで、考えたくもありませんが、戦争が勃発し、日本の安保政策が変わって若者が戦場に行かなければならなくなったとしましょう。

 マロ大佐、君に兵士の精神維持を図る任務を命ずる。

 君は、彼らに「文庫本」と「無限にインターネットに繋げられるスマートフォン」のどちらを渡す?

 とエライ人に聞かれたらどうしよう?

 短期的なウケは後者の方が高いだろうけど、長期的に考えたら老婆心ながらも文庫本にしたいなぁ……。

 でも、第二次世界大戦のときとは時代も違うしなぁ……。

 悩むなぁ……。

 (そんなことにはならないから安心しろ)

NHK ドキュメント72時間 「北のどんぶり飯物語」について

f:id:school_of_dog:20151105224445j:plainお米ってやっぱり最高ですよね?

 ね?

 ワタシはお米がないと生きていけない病にかかっておりますゆえ、ちょっと強めに同意を求めてみました。

 

 まずは、この番組の舞台となっている仙台の「半田屋」に行ってみたくなります。

 半田屋は、仙台をはじめ、東北地方太平洋側に展開する定食チェーン店。

 公式HPには価格が書いていなかったので、このお店を紹介しているブログなどを拝見したところ……や、安い!

 家の近くにあったら通いまくっていると思います。

 

 この番組が取材された2016年3月、仙台には仕事を求めて人が集まってきています。

 その理由は、震災景気。

 つまり、震災によって商機が生まれているということですね。

 震災景気とはなんともいやーな言葉ですが、第一次世界大戦後の大戦景気やら、朝鮮戦争の朝鮮特需やら、日本はこれまでも不幸の上で経済的な成長を勝ち取ってきた歴史があって……。

 

 建設業に従事していて、大阪に妻と子どもを残してきた男性が、こんな葛藤をしていました。

 既設のものが至るところにある以上、何かが壊れない限り建設業の出番はない。

 だから、今の自分の仕事は津波で建物を失ってしまった人々の不幸の上に成り立っているんじゃないかと思ってしまう。

 それなのに、地元の方は自分に対して「ありがとう」と言ってくれるのだ。

 今生きている人のために、自分は何かできているのかもしれないな。

 ……うーん、印象に残りますね。

 

 それから、番組中で女性(なんと福島の相馬から来たという彼氏と会っていた方)が「震災直後は食べられなかったお米を久しぶりに食べたときの美味しさには感動した。だけど、今は忘れちゃったなぁ」みたいなことを話していたのにも考えさせられました。

 好きなだけうまいお米が食べられるということで、まずは幸せなんだと改めて思い直す必要があるのかもしれません。

 

 その他、夫婦喧嘩をして夕飯食べ損ねた男性の、最初は意地はった感じが出ているけど最後「食べたかったなぁ」とポツリつぶやくところがカワイイですね!

 ニヤリとしてしまいました。

 仲直りできたかな。

 

(翌日追記)

 この番組を見て、無性に白米を大量に食べたくなって……。

 やってしまいました。

 2食分だと思って用意した白米と豚肉玉ねぎ味噌炒めを1回で平らげてしまった……!

 ダイエットの神様ごめんなさい!

ぶんぶく茶釜に会いに行く(群馬県館林市・茂林寺)

タヌキの聖地! 茂林寺

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f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainカワイイのかサイコなのかよくわからないタヌキだなぁ。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainここは、群馬県館林市の茂林寺(もりんじ)。

 タヌキマニアであれば、一度は来なければならないところね。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainそのタヌキマニアとやらが全国にどれくらいいるのか分からないけど、確かにここはタヌキの聖地だ。

 

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f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainだって、お寺の入口からして、タヌキ・タヌキ・タヌキ! ……だもの。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainこのお寺がこんなにもタヌキをプッシュしている理由。

 それは、ここが昔話「ぶんぶく茶釜」の舞台だからよ。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain「ぶんぶく茶釜」か。

 むかーし、聞いたことあるなぁ。

 どんなお話だったっけ?

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainこんなお話。

 ご存じの方はスルーして下さいな。

 

f:id:school_of_dog:20170803111110j:plain和尚さんが古い茶釜を買ってきて、お湯を沸かそうと火にかけたところ、茶釜が「熱い!」と悲鳴をあげた。

 気味悪がった和尚さんは、古道具屋にただで譲った。

 古道具屋は家に持って帰って、その茶釜がタヌキが化けたものだと知る。

 タヌキはその姿のまま元に戻れなくなってしまったというので、古道具屋はタヌキの言われたままに見せ物小屋を作ってやり、分福茶釜と銘打って見せ物をしてたくさんのお金を稼いだ。

 やがてタヌキは病気を患い、茶釜の姿のまま死んでしまった。

 古道具屋は茶釜をお寺に運んで供養してもらった。

 その茶釜は茂林寺に今も伝えられているという。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainお、最後に茂林寺が出てきている。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainこのお話には色々なバリエーションがあって、タヌキが死なないパターンもある。

 今は、「タヌキは捕まっていたところを助けられ、恩返しとして茶釜に化ける」という展開の方が主流らしい。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainそっちの方が、子どもウケはよさそう。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainさて、この茶釜だけど、上にも書かれている通り茂林寺に残っているのよ。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain本当か!

 早速見に行こう。

 尻尾とかはえているのだろうか。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain境内には、茶釜verのタヌキ像もあります。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain「ぶんぶく茶釜」には、実にさまざまなバリエーションがあります。

 元々は、「茂林寺の守鶴というお坊さんが無限にお湯の湧く茶釜を使っていたが、実はこのお坊さん、スゴいタヌキだった……」というお話だったようです。

 「ぶんぶく」という言葉についても、福を分ける茶釜という意味から「分福」になったという説、水が沸騰する「ぶくぶく」から来ているという説など、複数の説あり。

 

タヌキのおっとりしたイメージはどっから来ている?

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainところで、タヌキの昔話といえば「カチカチ山」もあるな。

 今思えば、タヌキの懲らしめられようは結構えげつない気がする。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plain背中でやけど → 傷跡にトウガラシ → 泥舟で溺死、だものね。

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain描いてから気付きましたが……カチカチ山のタヌキは憎らしいからこそこの「懲らしめ」が成立するのであって……。

 憎らしくないタヌキの柴を燃やしてはならない(戒め)。

 

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain昔話で描かれる、タヌキの親しみやすいというかおっとりしているというか、キツネみたいにズルくないというか、そういうイメージってどこから来てるんだろう?

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainワタシも気になったことがあって、高槻成紀先生の『タヌキ学入門』って本を読んでみたことがあるわ。

 そこで面白い説明がなされていたから、紹介してみることにしましょう。

 

タヌキ学入門: かちかち山から3.11まで 身近な野生動物の意外な素顔

タヌキ学入門: かちかち山から3.11まで 身近な野生動物の意外な素顔

 

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainこの本で紹介されている、タヌキにおっとりイメージが定着している理由をふたつ挙げるわね。

 理由その①。

 タヌキってね、秋になるとすっごく太るのよ。

 体重は50%も増えるんだとか。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainそ、そんなに増えるのか!

 ポンポコ腹太鼓のイメージもそっから来ているんだな。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainそれが幼児や太めのおじさんを連想させ、おっとりしたイメージにつながるみたいね。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain倫理とかで勉強するクレッチマーの性格類型でも、「肥満型=温厚」だもんな。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plain理由その②。

 タヌキは黒目がちな上、目の周りの黒い模様が垂れて見える。

 これが幼児を連想させるんじゃないかと。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainなるほどなるほど。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plain一方で「タヌキは人を化かす」とか、「タヌキおやじ」とか、別なイメージもあるのが面白いところで。

 今回はテーマが「ぶんぶく茶釜」だからこれ以上の説明は省くけど、とにかくタヌキは古来から人間に特殊なイメージを持たれてきた動物だってことがわかるわね。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain人間の創作物に登場する回数で言えば、我らイヌともいい勝負になるんじゃないか?

 ちょっとジェラシーを感じるぞ……!

 

ぶんぶく茶釜とご対面

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainそんな雑談をしていたら、宝物殿まで来たわ。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain入口前をほうきで掃き掃除しているおばちゃんに声をかけ、300円払って中に入る。

 ちなみに確認したところ、宝物殿の写真撮影はできないとのこと。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plain奥に進むと、あ、例の茶釜がありました!

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainタヌキ感は当然ながらまったくない。

 真っ黒で重厚な茶釜がガラスケースに入っているな。

 スピーカーから茶釜の説明が流れているぞ。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainこれ、タヌキが化けている(化けていた)のなら、ものすごい変身能力ね。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain茶釜の近くには、タヌキを扱った数々の作品が展示されている。

 

タヌキとキツネ (リラクトコミックス)

タヌキとキツネ (リラクトコミックス)

 

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain『タヌキとキツネ』というマンガが置いてあったので、読んでみた。

 やばい、なにこれ、ものすごく癒される。

 この作品でも、「ちょっぴりぬけているタヌキと、ちょっぴりいじわるなキツネ」という、彼らの教科書的イメージを踏んだ設定になっている。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainその他、映画から同人誌までが置かれており、このお寺の懐の広さを感じたわ。

 

帰り道、タヌキに化かされる?

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainふー、今日もいい散歩ができたな。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainじゃあ、帰りましょうか。

 

売店のおばちゃん「あら、お帰りですか? 今日はずいぶんとカッコイイ自転車で来たんですねぇ。気をつけて帰ってくださいね」

 

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainいやはは、ずいぶんと時間がかかりましたけど、ちょっと運動しなきゃなぁって思いまして。

 では、失礼します!

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plain(……アレ?)

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainいやぁ、あんな風に声をかけてきてくれると嬉しいな。

 いかにも旅行している!

 って感じでさぁ。

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plain……あのさマロ先生?

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainん?

f:id:school_of_dog:20151105224442j:plainなんで相当離れた駐輪場に停めているのに、しかも来るとき売店の前を通っていないのに、ワタシ達がロードバイクで来たことを知っているの……?

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain……。

 (どゆこと……? おばちゃん実はタヌキだったん……?)

 

【参考資料】

曹洞宗茂林寺|トップページ

分福茶釜 - Wikipedia

茂林寺の釜 - Wikipedia

・高槻成紀『タヌキ学入門』(誠文堂新光社、2016)

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain『タヌキ学入門』は、実に面白い本でした。

 タヌキって、強い動物なんですね。「この条件が揃わないと生きていけない」という条件がとても柔軟で、居住環境や食べ物がある程度変わっても生きられるんだとか。

 でも一方で、『平成狸合戦ぽんぽこ』で有名になったように、タヌキの居場所はどんどん減っている。それに、ロードキル、つまり車に轢かれて死んでしまうタヌキの数は信じられないほど多い。

 写真は、タヌキの居住地であり、人間と自然をつなぎ合わせていると高槻先生が評価している玉川上水(中央線武蔵境駅から北にしばらく行った場所で撮影)。なるほど、確かにタヌキが住んでいそうな雰囲気があります。奥の影の辺りからタヌキが出てきて、こちらを振り返ってくれないかしらん。

百年文庫014「本」

(014)本 (百年文庫)

(014)本 (百年文庫)

 

 

 

「本」にまつわるエトセトラ

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain小さいころから、本が好きだった。

 小学生のときは、外で遊ぶよりも図書館で本を読んでいたかった。

 読書感想文に選ぶ本もませていて、大人の目には(悪い意味で)変な子どもに映ったことだと思う。

 大学生のときは、バイト代が入ったらその足でブックオフに行き、トートバッグが満パンになるほどの本を買った。

 しかし、本は引っ越しの際に持っていくことが大変だと卒業時に気づき、大半を処分してしまった。

 あぁ、多少配送費用ががかかってもいいから、あの時アイツラを捨てなければ。

 いや、せめて1冊数行ずつでもいいから記録を残しておけば。

 しばらく経ってから、すごく後悔したことを覚えている。

 

 それから仕事が忙しくなり、仕事のための本ばかり読んで小説を読まなくなっていった。

 これじゃまずいなと休みの日なんかに小説を読み始めてみても一気に読み切ることができず、仕事の日々に戻ってしまえばもう小説の展開を覚えていない。

 ボクは、いつしか読書を楽しめなくなっていた。 

 

 そんなときに出会ったのが、『百年文庫』シリーズだった。

 素敵な装幀に、テーマに沿った3つの短編。

 これなら、一晩のうちに読み終えることができる!

 地元の図書館に100冊すべて揃っていたので、気になったタイトルを借りてはちびりちびりと読んでいた。

 

 そうだ、感想を書かせていただこう!

 今回は「本」をチョイス。

 久しぶりに、本を読むために本を読みたいような気分になったからだ!

 

 ところで、ブログの読書感想文を読む目的って、新しい本に出会いたいというよりかは、感想を共有したいとかそういうところにあるのだと思っている。

 少なくともボクは、もっぱらそうだ。

 何かを読み終わると、ついつい「書籍名+ブログ」と検索してしまうクセがある(Amazonのレビューではなく、ブログに書いてある感想を読みたい!)。

 だから、あんまり作品のストーリーについては書かないで、感じたことを書くに留めています。

 ネタバレを含むので、ご注意ください。

 

島木健作『煙』(自分は特別な人間ではないと知ってしまった人に捧ぐお話)

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plain死ぬかと思った。

 挫折の中で、「自分は特別にはなれない」と知ってしまったかつてのボクの気持ちを、これ以上なく見事に表現されてしまったからだ。

 理想と現実の間でもがき続けて、息継ぎができずに溺れそうだった時代を思い出して、心がマッシュポテトになった。

 

 主人公の耕吉(30)は、学業に秀でていて学生時代には特別な才を自分に感じていたようだ。

 だけど、いざ学校という枠を出て社会というバケモノと対峙したとき、本当に色々とうまくいかなくて、耕吉は少しずつ、自分が無力で無能だと思うようになる。

 それまで持っていた傲慢な心が折れて、「自分は他のヤツとは違うぞ」という感覚がなくなっていった(これは成長なのかな? 諦めなのかな?)。

 

 「おれはどうやって生きていったらいいものだろう?」

 彼は学生時代、この問いの前に立ったとき、不安だったけどワクワクもした。

 だけど、今となってはこの悩みに喜びはなくなっている。

 「『お前はもうここまで』と仕切られてしまったこっち側で、では、どこへ腰を据えたらいいものだろう? とあわててうろうろとあたりを見まわす」のだ。

 

 自分が持っている理想像と実際の自分とのミスマッチに感づき始め、どんどん自分に自信が持てなくなっていく。

 そうすると、言動も行動もおぼつかなくなって孤立し(恐らくそれは錯覚なのだけど)、さらに周囲からの孤独感と自分の無能感を強めてしまう。

 中二病でも、高二病でも、大二病でもない。

 社会人二年生病みたいなもののイタさや切なさが描かれていて、バファリンよろしく半分は黒歴史でできているボクの心をグッサリえぐってくれる作品だった。

 今まで、一度でも手痛い挫折を経験したことがある人なら、この孤独感に共感するんじゃないかなぁ。

 

 彼は一日一日をせい一ぱい生きてゆく人生は、どんな道をたどろうとも無駄はないはずだということを少年時代において信じて生きて来たものだった。いろんな道を歩いて来たが、今までのすべての道は内面においてずーっとつながって来た。それが今になってぷっつりと切れるような気がする。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainボクはここらへんを読みながら「おぉ、もうやめてくれ……」って心の中で叫んだ。

 

ユザンヌ『シジスモンの遺産』(文学的昭和ギャグマンガ)

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainタイトルからして本にまつわるオシャレで知的な会話の飛び交う作品かと思って読み始めたら……これ昭和のギャク漫画じゃねぇか!

 目がチカチカするほどのエクスクラメーション・マーク!!

 本ヲタクが行き過ぎて思考回路が狂った登場人物たちの熱き罵り合い!!!

 

 ストーリー展開は、まさしくギャグマンガそのもの。

 オチも打ち切りマンガのそれ。

 ひとつ違うのは、表現がムダに文学的なところである。

 詩的表現や比喩を巧みに使ってドタバタを描くとこうなるのかという、類まれなる奇作。

 

 主人公・ラウールは、超がつくほどの本コレクター。

 半年前に死んだコレクターライバル・シジスモンの蔵書がほしいのだが、シジスモンは貴重な本が死後誰にも渡らないようなしくみを作り上げていた。

 そのひとつが、従姉妹を遺産相続人にすることだった(全部読めばわかる通り、これは策というか失策でしかないのだが……)。

 

 ラウールは、この従姉妹(58)を妻にして蔵書を手に入れようとするのだが、彼の専属弁護士はこれを止める。

 なぜか? それは、彼女がどうしようもなくブサイクだからである。

 この、弁護士とラウールのバカバカしいやり取りでさえ文学的だ!

 

 ラ「女性とはなんぞや? イヴの一版にすぎん、保存程度に多少の差はあるがーー」

 弁「なるほどーーしかし装幀も大事なんでは?」

 ……

 弁「まさか本気で(結婚すると)おっしゃってるんでは! わたしはお目にかかりました、問題のエレオノールさん(従姉妹)に。古板同然に干からびた、まさに怪物ですぞーー」

 ラ「ーーさあ、出かけたまえ! 急ぐんだ!」

 弁「ーー野ざらしになって萎んだ赤りんごみたいに皺だらけ、化物です!」

 ラ「うるさい!」

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainこいつの目は、見たものすべてを本に変換するのか。

 さながら、なんでも下ネタに喩えようとする男子高校生の会話のようだ。

 「11/11だからポッキー買ったんだけどさ、CMがガッキーで俺のポッキーもボ(自粛)」みたいなやつ。

 この程度のテンションは序の口。

 物語が進むに連れて、彼らのテンションもクレッシェンドしていく。

 まさかこんなところで、本を読みながら笑う日が来るとは思わなかった。

 

 それから、電子書籍が紙の本を完全に駆逐することはないんじゃないかな。

 本はやはり、中に書いてあるコンテンツだけではなく、ブツとしての魅力をも備えているのだ。

 少なくとも、この小説の登場人物たちの脳みそをぶっ壊すほどの魅力を。

 

 佐藤春夫『帰去来』(速読できないお話)

 サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、それでも、俺がいつまでサンタなんていう想像上の赤服おじいさんを信じていたかというと、俺は確信をもって言えるが、最初から信じてなどいなかった。

f:id:school_of_dog:20151105224439j:plainかの有名なライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』の冒頭、キョンのモノローグである。

 当時、一文が長いだのなんだのと言われていたような記憶がある。

 しかし、これが読みづらいのであれば、佐藤春夫の『帰去来』はどうなってしまうのか。

 

 最初のページを開けば、ボクの言っている意味をお分かりいただけると思う。

 く、句点がない……!

 そう、見開きまるまる句読点がないのだ。

 初めて「。」が登場するのは5ページ目。

 小学校の作文であれば、先生に処刑されてしまいかねない。

 流し読みというのは、句読点があるからできるのだなと改めて思った。

 

 だけど、これを「句読点がなかなか出てこない奇抜なお話」と片付けてしまってはもったいない。

 主人公の詩人と、いわゆる「青い鳥症候群」に罹っている青年との力の抜けた会話がなんとも心地良い。

 オチは洒落ているし、タイトル回収もなされている。

ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

 

f:id:school_of_dog:20151105224440j:plain今さら私が紹介するまでもないほど有名な、SFの超名作『星を継ぐもの』。

 このSFには、しばしばハードという冠詞が付きます。

 ハードSF。

 科学的に、論理的に書かれているSFのことだそうですが、だとしたらこの本はまさしくハードSFでしょう。

 「宇宙服を着た人間の死体が、月で見つかった。この死体、なんと死後5万年が経過している! 装備品も、現在の人間よりずっと進んでいる。どうしてだろう……?」という謎に対して、科学的に挑戦していく過程が描かれます。

 

 台風吹きすさぶ2017年10月29日、私は用事をこなすために、ちゃんと動くか怪しい電車に長時間乗ることになってしまいました。

 その時、移動のお供に選んだのが『星を継ぐもの』。

 めっちゃくちゃ読みたくて買ったのに忘れられ、本棚の奥で寂しくポツンと眠っていたこいつを叩き起こし、カバンに入れて出かけました。

 なんなら、台風で電車が止まったとしてもゆっくり読書すればいいじゃないか。

 そんな気持ちでいたわけです。

 結局、電車が止まることはなかったものの、その日のうちに『星を継ぐもの』を読破してしまいました。

 

 それどころか、よく分からなかったところがどうしても気になってしまい、雨でムワっとしたマクドナルドに入って確認し直す始末。

 完全にストーリーを理解したときには、既に1時間が経過しており、帰りの電車を数本見送っていたことにそこでようやく気付きました。

 それほどまでに週末の私は、『星を継ぐもの』にのめり込んでいたんですね。

 

 さて、科学議論で中心的な役割をはたすのが、柔軟な思考の持ち主である原子物理学者のハントと、論理に固執する頭の固い学者かと思いきやある時点から無双する生物学者のダンチェッカーです。

 彼らは思考方法こそ違いますが、実は彼らを貫く、そして物語を貫く哲学は共通しているように思えました。

 それはきっと、挑戦することと、諦めないこと。

 ネタバレにならない程度に、この物語の哲学的な核心を突いていると思うセリフを2ヶ所抜き出してみます。

 

 「ダンチェッカーの魚が最初に泥沼から地上へ這い上がった時、すでに人類はいずれここまで来るように運命づけられていたんだ。連中を駆り立てている衝動は、きみをこれまで突き動かして来た何かとまったく同じ性質のものだ」(ハントと話す国連宇宙軍本部長・コールドウェルの言葉)

 「人間が地球上の他の動物となぜこうも違うのか、諸君は一度でも考えてみたことがあるかね? 脳が大きいとか、手先が器用であるとか、その種の違いなら誰でも知っている。いや、わたしが言いたいのは、もっと別のことなのだよ。たいていの動物は、絶望的情況に追い込まれるとあっさり運命に身を任せて、惨めな滅亡の道を辿る。ところが、人間は決して後へ退くことを知らないのだね」(生物学者・ダンチェッカーの言葉。これまでのダンチェッカーの言動があったからこそ、このセリフにはカタルシスを感じる)

 

 こういう哲学があるからこそ、この作品は単なる科学議論ものではなく、文学にもなるのです。

 

 それから、タイトルも素晴らしいですね。

 最後まで読んだ限り、「星を継ぐもの」というタイトルの指すものはみっつありそうです。

 みっつの「星を継ぐもの」が分かった時には、この物語の謎も解けていることでしょう。

 本当によくできています……。

 すげぇ……。

 

ガニメデの優しい巨人 (創元SF文庫)

ガニメデの優しい巨人 (創元SF文庫)

 

f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain続編『ガニメデの優しい巨人』にも、いつか挑戦したい。

 そして、今やGooglemapで月やガニメデを探検できる時代になった。

 チャーリーが眠っていた洞窟がどこにあるのか、探してみたけどわからなかった。

NHK_人間は何を食べてきたか「一粒の麦の華麗な変身 パン」

www.school-of-dog-11111111111.com

f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain前回までのあらすじ。

 最近、NHKの『人間は何を食べてきたか』という番組にのめり込んでいるゴールデン先生(家庭科)。

 図書館でこのDVDを借りられることに気づき、彼女はご飯を食べながら見まくっている。

 ちなみに、ダックス先生f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainはクビ(対話記事は書くのが大変だから)。

 

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f:id:school_of_dog:20151105224445j:plain「朝はパン♪ パンパパン♪」

 いやぁ、パンって本当に美味しいですよね。

 私はパンよりもおコメが好きですが、だからこそたまに食べるパンの美味しいこと美味しいこと。

  

 ずいぶん昔、無性にパンのことが気になった時がありました。

 パンってなんだろう。

 何でこんなに美味しいんだろう。

 気になりすぎてご飯5杯しか食べられないわ。

 このままだと空腹で、調理実習で生徒が作ったものをすべて食べつくしてしまい、学校に苦情が入ってクビになること必至。

 そこで私は、長年同棲をして結婚をなあなあにしてきてしまったカップルよろしく、ちゃんと向き合ってこなかったパンに正対する覚悟を決め、ある本を購入したのです。

 その本こそ、舟田詠子先生の『パンの文化史』でした。

 

パンの文化史 (講談社学術文庫)

パンの文化史 (講談社学術文庫)

 

f:id:school_of_dog:20151105224445j:plainこれがまた、もんのすごく面白い本なんですよ。

 昔懐かしい三色パンのごとく、一冊で何度も美味しい。

 発酵について理系チックに説明したかと思ったら、パンの歴史学に飛び、お次はフィールドワーク、民俗学に宗教学と、引き出しがいくつあるのか心配になってしまうほどの幅広さ。

 6章構成ですが、1章ごとに独立して博士号を取れてしまうんじゃないかしら。

 最初はお風呂に入りながら軽い気持ちで読み始めたものの、「あ、これは適当に読むのは無理なやつだ」と気付き、ドトールでじっくり読んだ記憶があります。

 

 そんなステキな読書体験から数年経った本日、NHK「人間は何を食べてきたか」のパン特集を見ました。

 そしたら……、

 あ!

 『パンの文化史』を書いた舟田先生が出ている!

 

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f:id:school_of_dog:20151105224445j:plain舟田先生の本を読んだ記憶が蘇り、本棚の奥から『パンの文化史』をズズイと引っ張り出して、読み返してまたビックリ。

 『パンの文化史』が、『人間は何を食べてきたか』の公式ガイドブックになっていることに気がついたのです。(逆もまた然り。映像を見ることで、書籍の内容を視覚的に補足できる)

 よくよく聞けば、この取材の大部分を占める「マリア・ルカウ村」は、NHKに対して舟田先生が紹介した場所。

 だとすれば、舟田先生の本とこの番組がリンクしていないはずがありません。

 さぁ、番組と本のハッピーセットで、パンの世界にぐっと迫りましょう。

 

 NHKはムギの粉挽きを映像で紹介しています。

 水車を使う村あり、風車を使う村あり、手動で石臼を使う村あり……。

 ムギを粉にするだけでも、村の地理的な条件によってやり方が全然違うことを、視覚的に知ることができます。

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain水車を利用した粉挽き。複雑に装置が絡み合っていて、男子にとっては垂涎モノ。石臼は300kgもあるらしい。

 

f:id:school_of_dog:20151105224445j:plainじゃあなぜ、ムギは粉にしなければならないのでしょうか。

 この説明、番組ではまったくなされません。

 あれぇ、何でかなぁと思って舟田先生にSOSを送ると、あっという間に返ってきました。

 

f:id:school_of_dog:20170803111108j:plainコメは粒のまま水で炊けば食べられるのに、ムギは粉にしなければならない。パンとはなんと手間のかかる食べ物なのだろう。粉に挽き、汗だくでこね、のし、丸め、焼き上げて、ようやく口にできるのだ。それはなぜか。

 コメというのは、皮がうすく、主要な栄養を含む内側がとても硬い。しかし、ムギはこの逆の性質をもつ。皮がかたく、内側がやわらかい。この皮を取るためには、どうしても粉にする過程を通らなければならないのである。

f:id:school_of_dog:20151105224445j:plainなるほど、この説明があると、粉挽きの作業にこだわる理由もしっくりと来ますね。

 さて、先述の通り、番組の大半はオーストリアのマリア・ルカウ村探訪となります。

 

f:id:school_of_dog:20151105224445j:plainこの村は、アルプスの深い谷間にあります。

 穫れるムギはライムギ。

 NHKは、この村で一番古いパン窯を持つテレジアさんを取材します。

 あ、テレジアさん!

 『パンの文化史』でも登場する方です。

 

 テレジアさんがパン窯でパンを焼く過程が映像で紹介されます。

 その作業を見ていると、気になることが。

 テレジアさんが、パン焼きの中で何度か生地に十字を印しているのです。

 その後、修道院でパンを焼く映像も出てきますが、ここでも十字印が登場。

 これは一体、どういう意味なのでしょうか。

 この問いにもばっちり、舟田先生は答えています。

 

f:id:school_of_dog:20170803111108j:plainパンの発酵は、パンを膨らませて美味しくする。けれども、発酵がうまくいかなければ、パンを腐敗させたりしてしまうかもしれない。また、そもそも焼くことに失敗し、生焼けになったり、焦げたりしてしまうかもしれない。

 こうした人為の及ばない現象への不安がパン焼きには付きまとう。一回のパン焼きで大量のパンを作るので、失敗するということは食べられないということを意味する。だから、成功を祈って神に祈るのだと思われる。

f:id:school_of_dog:20151105224445j:plainなるほど。

 このアルプスの深い山中でパン作りに失敗してしまえば、それはすなわち死につながりかねませんものね。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain十字印その①。舟田先生によれば、パン焼きの過程で計5回十字を印すようだ。これは、生地をこね終わった時。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain十字印その②。完成したパンにナイフを入れる時。静止画では伝わりづらいが、十字を印している。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain場面変わって、修道院。ここでも、生地に十字が印されている。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plain肉のときと同じで、やっぱり宗教が一枚噛んでいた。

 

f:id:school_of_dog:20151105224445j:plainあまり舟田先生をヨイショしてばかりでもあれですので、最後に舟田先生抜きにこの番組について語りましょう。

 番組の中では、ベドウィンのパン焼きや、タタールというパン窯など、パンにまつわるさまざまな風景が映ります。

 その中でも私が特に好きなのは、最後のシーンです。

 収穫時に束から落ちたムギを、子どもが拾う。

 お母さんがそのご褒美にと、パンを焼いて子どもにあげる。

 この慣習には、「落ちたムギも大切にすれば、これだけのパンが得られるのだ。ムギは一粒でもムダにしちゃいけない」という教えが込められているそうです。

 

 私は小さい時、米粒ひとつぶに7人の神様がいるから、絶対に残してはいけないよと教わりました。

 食べている穀物こそ違いますが、人間には何か、食べ物にまつわる普遍的な教えがあるのでしょうね。

 

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f:id:school_of_dog:20150803102459p:plainムギ拾いのご褒美に、子どもたちにパンを配るお母さん。"Bitte!"と言いながらパンを受け取る子どもたちは笑顔です。

蒲田行進曲

あの頃映画 「蒲田行進曲」 [DVD]

あの頃映画 「蒲田行進曲」 [DVD]

 

f:id:school_of_dog:20151105224444j:plainこの映画、コメディだと思って見始めたんですよ。

 そしたら、主要登場キャラクター3人の背景にあるものがどんより重たくてビックリしてしまいました。

 

 早速脱線しますが、私は仕事から帰ってきて、なかなか2時間近く映画を一気観する時間が取れないもので、2,3回に分割して視聴しています。

 いや、映画にあまり詳しくない私ですが、一気に見てこそ映画の面白さが伝わってくるという常識(?)はなんとなく理解しているんですよ。

 原田マハ『キネマの神様』でも、大の映画好きである主人公の父がこんなことを熱弁しています。

 「ゴジラ」の暗く重苦しく逃れようのない雰囲気は、テレビの洋画劇場で見たところで伝わってこない。

 迫りくる怪物にあともうちょっとで踏み殺されるという間際に、やたら明るいコマーシャルになごまされてもいいものか。

 あるいは、手に汗を握っているときにお袋さんがお茶とおかきをコタツに運んできたりしていいものか。

 想像しただけでもゲンナリするではありませんか。

 ……なるほど、確かにその通りであり、この点24時間もぶった切って映画を観ている私なんかは不届き者もいいところです。

 ですが、私は朝が弱いもので早寝しないと翌日大変なことになってしまいます。

 ちゃんとスッキリした頭で仕事をするのと、夜映画をぶっ通しで見るのと、どっちがいいかなと天秤にかけて、泣く泣く分割視聴をしているわけです。

 

 話がだいぶそれてしまいました。

 本題に戻りますと、私は2夜目にバトンを渡せるように、映画を観ながら手元にメモを置き、感じたことを殴り書いています。

 手元は見ないで、適当にガガガっと、てな程度ですが。

 蒲田行進曲のメモを見ると、「コメディのつもりで見始めたら、開始36分、全員どんよりしている」。

 自分の中にスターという虚像を持ちつつも、それを実現することができない銀ちゃん。

 銀ちゃんに憧れ続けるものの、ずっと大部屋で、本人も言っていたがまさに「うだつの上がらない人生」を送っているヤス。

 そして、メンヘラ気味な、おっと口が滑りました、銀ちゃんとヤスの間で揺れ、女としてのプライドを壊されてしまった小夏……。

 

 彼らに共通しているのは、「現実世界で自己実現ができていない」ということじゃないでしょうか。

 だからこそ、彼らはつくりものの映画の世界に惹かれていくんじゃないでしょうか。

 DVDの特典には、原作者のつかこうへい氏がこの映画に対してコメントした文章が収録されています。

 「この映画の誇るべきところは、ドキュメントでもなく、ノンフィクションでもなく、ただのつくりものだということです。久しぶりに、嘘にみちた映画らしい映画です」

 映画の中では、偽りの愛を本当の愛に変えてしまうことも、昼を夜に変えることも容易い(プロローグ)。

 だから、彼らはつくりものの映画に命を賭け、「階段落ちで死ぬ」という落ち着いて考えればバカバカしいことに魂を賭けるんじゃないかなぁ。

 それから、この作品自体も「つくりもの」なんだぞという、あえてリアリティから外した大げさな演出に満ちていて、怒涛の90分でした。

 

 名シーンはたくさんありますが、私はやっぱり、銀ちゃんの「上がってこい、ヤス!!」が好きです。